あのヒトは言った。
「貴明はなぁ〜、胸の大きい子が好きなんやてぇ」
ぽわぽわとして緊張感がなくて、しんみりしたシチュエーションなのにも関わらず笑みを絶やさない声。
これは「母」の声だ。
私たちを生んだ「母親」の声。
人間らしく、人間であるために、人間であろうとする。
そんな偽りの人間を作り出すために。
たった一つ。
たった一つの目的のために。
たった一つの約束のために。
けれど―――――。
「さ、珊瑚ちゃん! それは誤解だっ!!」
「母」の言葉を遮るヒトの声。
遠隔視覚モニターは、機能を強制的に開いているので、砂嵐が発生し、輪郭が若干ぼやけている。
それだけで十分。私のメモリーは彼の声紋と容姿を特定させた―――瞬時に。コンマ単位で。
なにせ最初に会ったとき、彼は私を見つけるなり、上から下まで舐め回すように見つめてきたのだ。
大事なところまでばっちりと。
その時の私のボディはスペアだったのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
屈辱。伊達に感情などをもっているからこそ、羞恥心も憤怒も覚えてしまっている私は彼を殴った。おもいっきり。感情が沈静するまで。ボディの内部に広がる熱量が冷却するまで。
だから、私のメモリーに残っているのだろう。
しかし、それだけならば単なる情報として残しておくだけで、即座にアウトプットしない。
謝ったときの、彼の困ったような顔。
真剣みが足りなかったけれど、誠意ある対応を垣間見せてくれた紳士的な性格。
研究所へ帰る際に見送ってくれる、あの振る舞い。
瞬間、私は彼が気に入った。嬉しくて楽しくて優しくて心地よい気持ちに。
思わずメイドロボにおける最重要感情、慕情精神をを掻き立てられたくなる、あの姿に。
別れるのは淋しい。離れるのは悲しい。
彼とはまだ触れ合っていたかった。
もっと頭の上に乗っていたかった。もっと視線をあわせていたかった。
出来ればその胸に抱かれていたかった。
―――スペアボディに口がないことを悔やんで仕方がなかった。
とめどなく流れていく感情の波に押し流されながらも、別離の刻は刻まれる。
バスの扉が閉まり、研究所へ繋がる停留所から離れ、彼の姿が見えなくなると、私はスペアボディへの通信回路を切った。
秒換算をする暇もなく、視覚モニターに映った映像は、スペアボディで見た映像に比べると変哲もない質素な部屋だった。
当たり前。ここは研究所なのだから。
HMXシリーズの開発元・長瀬のボディと「母」のシステム。通称DIA――ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャ――と呼ばれる、HMX−12以来の感情を基盤に置いた、最高峰にして不安定要素の多いシリーズ。その想定外要素なゆえに、過熱による暴走や極度の行使における破損などを考慮して、定期的に検査を行っている。私は今、それの真っ最中なのだ。
調べる箇所の大抵は、外部と内部の構造。
メモリーを許可なく触れようとしないのは、プライバシーの侵害と呼ばれる法則のせいだろうか。
今はそれが有り難い。不用意に見られては、白い服を身に纏ったヒトがソレに妙な細工をするかもしれない。
ふと、意識を外に向けてみる。
ボディにまとわりつくのは水のような液体。ゲルのような粘り気はなく、微温湯のような温かみはない。だからといって冷たくもない。持ち上げられているのが回路を通じて伝わってくるが、そこには何もないことは既に知っている。
これらはすべて、遠隔的に検査を行うための手段。この液体は接触した部分を通じて情報を伝達させ、外部や内部の現状を数値化、データをもとに平常値かを確認する。その際、異常値をはじき出していれば、研究所中が慌てふためき、ヒトが右往左往を繰り返す。私たちのような規格外のシリーズにおいて、一度は見ることになる光景。
まるで培養液のような環境。液の外から成長を眺められて、文化の発展に嬉々するヒトを見ると、知らず知らずのうちに自分が実験体なんだと以前は知らされていた。
「母」が何と言おうとも、これだけの視線を不躾に浴びていれば、そう悟るのも仕方ない。
妹はそれを理解して、対人関係において弱気になり、マザーコンプレックスになってしまっている。
私の場合の感情理論はこう告げた――――反発しろ。
人間には性格がある。それは内的要因よりも外的要因による影響が多いと聞いた。
この場合の外的要因は『刺激がなく、従順を強制された空間』。
別にその空間が嫌いというわけではない。
私たちを懇意にしてくれるヒトもいるし、面白い悪戯を教えてくれたヒトもいた。
それでも、やはり研究員に総じて共通するのは研究なのだ。誰もが私たちの成長が気になる。進歩する結果が気になる。影響による影響が気になる。気になる。気になる。気になる。
その悪意も善意もない、暗黒にも似た瞳に耐え切れず、私の心は反発を支持した。
視線に対して威嚇しろ。研究に対して対立しろ。悪意に対して悪意で返せ。善意に対して無に徹しろ。
果たしてこれが「母」の思い通りなのかは予測できない。登録された感情かは考えたくもない。
今は、自分の意思で反発しているのだと思いたい。
それを変えたのが、彼、なのだ。
メンテナンスと私の気分転換という名目で、「母」が研究所の外へスペアボディとともに連れ出した際、不躾に私を舐め回すように見た「母」の知り合いの少年。
最初はあの研究所のヒトのような視線を向けていると思い、拳を振るってしまったが、彼を囲んでいる空気はソレとは全く異なっていることに気付く。
嬉しくて楽しくて優しくて心地よい気持ち。
それを温かいと感じたから、彼が謝ったとき、即座に許した。
謝罪に対して嫌味で返すべきはずの反発精神が、一瞬で取り払われた。
嬉しくて楽しくて優しくて心地よい気持ち。
嗚呼。だから。
だから、私は彼を好きになった。
全ての機能が理解不能なほど稼動を開始し、熱を発するほど「好き」という感情が巡り巡った。
記憶の流れを過去から現代に引き戻す。「母」の言葉と熱とともに。
『貴明はなぁ〜、胸の大きい子が好きなんやてぇ』
胸に相当する部位に手を触れる。弾力ある感触が回路を通じて反応を返す。
私たちDIAシリーズは3体あり、その姉妹関係を胸の大きさで決定しているらしい。
つまり私の胸の大きさの位置は妹以上、姉以下となる。
Repeat...
『貴明はなぁ〜、胸の大きい子が好きなんやてぇ』
あの少年は姉を好きになるだろうか。なるだろう。好きなのだから。
Repeat...
『貴明はなぁ〜、胸の大きい子が好きなんやてぇ』
Repeat...
『貴明はなぁ〜、胸の大きい子が好きなんやてぇ』
Repeat...
『貴明は―――』
なにかが、暴走した。
「あの」
ガラス越しにいる研究員に声をかける。
まさか検査中に発声機能を使用するなどと思っていなかったのだろう、研究員は目を大きく見開いて私を見つめる。
その表情の可笑しさに思わず口元を緩めてしまう。
これで驚いてはいけない。
これからもっともっと大変になるのだから。
彼を助けるために。
姉に誘惑されているはずの彼を助けるために。
今度は口を持っている。スペアではないボディを持っている。
この口と発声器官を使って、いろいろ話そう。
感謝したいこと。
陳謝したいこと。
いままでのこと。
これからのこと。
アナタが好きだということを。
アナタを好きだということを。
そのために。
「胸部の増量を要請します。早急に」
―――さあ、檻から放たれよう。
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