春の木漏れ日。
 それは人々の心を暖かくさせる。
 人間でなくても動物、植物は思わず笑うようにその暖かさに体を委ねるであろう。
 だがそんな暖かさもとある生物にとれば、あまり意味のないことだったりする。
 それは魚。
 彼らはもともと冷たい水に棲む生物。出来れば温水などには体を置きたくないのだ。
 だがこの日本という地域は四季がある。春夏秋冬。是、日本の風情也。
 その暖かな陽気は確実に魚たちを弱らせる。
 浅い区域にいる魚は決して深海にはいけない。
 また深海にいる魚も浅い区域にはいけない。
 だからだ、だからなんだ。


「あついのよぅ」


 この"人物"が河原で倒れているという現実は。
「―――さま、そこで倒れていらっしゃると更に状況が悪化されると思われますが」
「わかってるけどぉ。ダメダメ、絶対この環境ダメ。なんであのお嬢様はこの環境に耐えられるのかを小一時間問い詰めたい気分」
 その人物は、人目を惹きつけること間違いなしの美貌の持ち主だった。
 顔つき、鼻つき、口元、髪質、髪色等全てにおいてパーフェクト。
 細めの長身が更にそれを引き立てる。中性的な顔つきもそれに加わる。
 男とも女とも捕らえれるであろうその人物は、その魅力を台無しにするように河原の土手で寝転がっていた。
 そこだけ見てしまえばどこかの親父が寝転がっているようにも見えなくもない。
 それほど魅力を消し去ってしまっているのだ。勿体無い。
 だがその魅力を呼び覚ましてしまいそうなのが傍らにいる彼女だ。
 先程からそのだらけた人物に付き添っている彼女。
 その姿、その凛々しさ。隣で寝転がっている人物に負けず劣らずの美貌であろう。
 だが気持ちを表に出している人物に対して彼女はあくまで無表情――多少の感情の起伏はあるものだが――なんとも残念な素材でもある。
 しかしそれすらも払いのける。そう彼女の姿。
 少し前の言い方をすれば召使。そして今有名な言葉で上げるとすれば―――メイドだ。
 そのメイドは溜息混じりに自分が使える君に視線を向ける。
「多分、それは貴方様だけかと思われます。私とて同じ"種族"でありますが左程体に異常を感じるような暖かさではありません。 この極東の地においてはこの暖かさこそ普通。滅多に"上"に出てこないのですからそれが祟っているのではないでしょうか」
「いや、そうはっきり言われると結構クるもんがあるッス」
 その視線は君にとってはきついもので、頭を掻きながら体を起こす。
 君は体を伸ばすと、ポケットからゴムを取り出す。君の髪に映えるような赤いゴム紐だ。
 それを手馴れた手つきでポニーテールへと仕上げていく。
 流れるような動きはメイドにとれば見慣れたものだが、知らぬ人が見れば動きを止めてしまうであろう。
 括り終えると君は何か隠したような笑みを浮かべている。
「ともかく。早くあのお嬢様を見つけないとねぇ。何せ私の目を欺いて堂々と人間界まで来ちゃうんですもの。愛のラブラブ結婚式が台無しになっちゃったじゃない。もうっもうっもうっ!」
 体をくねらせて何故か感動している。
 まるで誰かを抱くようにして、そのままその場で回る姿にはさすがのメイドも退きたくなった。
 だが主君の手前、無礼なことは許されまい。多分。
 ちなみに愛もラブも一緒だということに主君は気づいているだろうか。
 狙っていたら次の昼食は塩辛く味付けしてみるか―――嗚呼、"意味ないか"。
「楽しそうですね」
 メイドは淡々と述べる。
 そう思うほどに主君は笑っていたのだ。いや、嗤っていたという方が近いか。
「楽しいよ。楽しくないの? フォロア=ローラ。ここまで素晴らしい序曲を見せてもらえるなんて。初夜を迎える前の戯れに似ているよ。そして頂くお嬢様の純血―――嗚呼、今からでもゾクゾクしてくるよぅ」
 悦に入っている姿を見ればなんとなく楽しそうなのだが、言葉からすればなんともまぁ下品である。
 しかしそれでもメイド―――ローラは口を出さない。
 つまり、慣れだ。これも。
 しかしそれ以外にも口を出せない理由もあったりする。
 君が言っているお嬢様を人間界に出させたのは、他でもない自分なのだから。
 特に理由なんてない。
 彼女が何かあまりにも必死だったのを見て、仕方なしに動いただけだ。
 気まぐれか、運命か、使命か、偽善か。
 今更そんなことを嘆くつもりは毛頭ないのだが。
「では、ローラ。探しに行くよ。愛しの我が君、青き歌姫――エクアドル=ストレンドに会いに」
 さて、このローラの主君―――バイラティラル=フィラーはどんな行動を見せるのか、それはローラ自身も若干ながら楽しみだったりする。
 自分こそがその遊びにつき合わされているとも知らない、その無知、その無垢さに。
 もしいずれ誰かが語るだろう。この愛称ラティルに対して。
 高笑いして、大いに高笑いして。


 ―――だってお前、オカマじゃん。


原作:とむはち   執筆:今井秀平
"delicate blue light -under the blue, blue sky-"
(5)


 だから僕は傍観者なんだ。
 これから始まる物語もただただ眺めているだけの傍観者。
 何も話さないし、身動きが取れない。さながら石だ。
 此処で誰が来ようとも、僕はいつもの日常を過ごしていくだけ。
 笑って笑って学校に行って帰ってくるだけ。
 だから僕は傍観者。
 テレビを眺めている感じで僕はそのドラマを流すように見ていよう。
 それが僕と君との境界線。





「ぐっもーにんっ!」
 そんな軽快で尚且つ大音量のエセ英語で僕の布団に乗ってくる影。
 もっと詳しくあげるなら僕のお腹に位置する場所に座っている影。
「アツシー。ぐっもーにんっ!」
 更に激しく僕の体を揺らしてくる。その動きにあわせて脳が揺れているのを感じる。
「ぐっもーにんっ!」
 続けて耳元で挨拶。
 大音量なので鼓膜が破けるかと思ったが、人間の耳はそれほど柔ではないようだ。
 ……ところで、僕はもう既に完全に起きていたりするんだな、これが。
 のそり、と体を起こすと予想だにしていなかったのか上に乗っていた少女が布団と同時にひっくり返ってしまう。
「おはよう」
 とりあえず挨拶はしておく。
 それにしても……かなりハイテンションすぎないか、朝早くから。
 あれから数日経ったけど、まだこの自称セイレーン―――エルのノリにはついていけない。
 ついていく必要はないんだろうけど、やはり同じ屋根の下で過ごす住人とすれば慣れておく必要があるだろう。
 それをエルも感じているのか、無理にハイテンションをしていることもある。
 少し迷惑か。
 僕は欠伸を噛み殺して、彼女のほうを見ると何故か布団と格闘中。抜けられないっぽい。
「うりゅ」
 まるで珍獣動物でも捕まえたような達成感に陥ってしまう。
 まぁ―――セイレーンだから珍獣なのか。
 僕がその布団を剥ぎ取ると、そこにはやはりいつもの顔があった。
「ぐっもーにんっ!」
 今日何度目になるかの挨拶を聞く。
 それにしてもなんで英語なのか。そもそもセイレーンの共通語って何だ。
 やはり謎が残るばかりである。
 とりあえず、もう一度「おはよう」と挨拶をすると布団から体を出す。
 時計を見ると……留美が来るまで若干時間があるくらいか。
「ま、こんな日もあっていいかな」
 そこで、思い出した。
「……エル。君、どうやってこの部屋に入ってきた」
 確かあの事件以来、留美の視線が怖いので当分の間親が寝ていた部屋で寝てもらうことにしたのだ。
 あそこならダブルベットなので僕みたいなのより広くてのびのびと寝れるだろうと思ったからだ。
 それを開始したのが昨夜。つまり一晩明けると、だ。
 ちなみにそれを思いつくまでエルは僕のベットで、僕がリビングのソファにという状態だった。
 いや、言わせてもらうとかなり寝にくい。
 今度買うときはベットになるソファを買おう。高いけど。
 ともかく僕は昨夜部屋の鍵を閉めていたような気がするのだが。
 それが毎夜の僕の決め事。まぁ、この前はうっかり忘れていた。
 エルは僕の質問に対して、当たり前のことを聞かれたような口調で答えた。
「えっと、こうちょちょいのちょい! かちゃり、ばーん!」
 やっぱり擬音語ばかりでわからなかったけど、なんとなくわかった。
 エル、ピッキングしたのか。
「どこからそんな技術を」
「技術というか、勉学だねー。アツシ、わたしを"ガッコウ"とかいうのに連れて行ってくれないから暇で暇でしょうがないから、町に出て色々勉強しているんだよー。 これがその結果。まさかこんなに綺麗にあっさり決まってしまうなんてー。人間の技術って大したことないねー」
 それは人間に対する侮辱ととっていいですか。
 ともかく僕がエルを学校に連れて行かない理由はいくらかある。
 まず、エルの無知さだ。
 彼女は人間という世界にまだ慣れていない。
 そんな彼女が高校に行けばどうなるか。幼稚園児が高校を歩き回っていると同じ意味になってしまうだろう。
 更に無知さ。
 言語能力とかはあるようだけど、それ以外の歴史学などになってしまうと彼女の成績はかなり下がってしまう。
 それは当たり前なんだけど高校というのはある程度の勉学を学んだ者が進むところだ。
 そんなことでは彼女の先が不安になる。
 最悪イジメなんていうくだらないものになってしまうかもしれない。
 それだけは避けたい。こんなエルでもやはり家族なのだから。
 そして、そうこんな心配をしていること自体が問題だ。
 もし高校に行ったら更に心配が募るに違いない。
 受験生という立場ながらこんな心配をしてしまうのだ。
 多分それは留美にも被害が及ぶだろう。少しでも関わってしまったのだから心配はしてしまう。
 例え自分がその相手に好意的でなくとも、やはり気にかけてしまうのだから。
 だから、僕はエルを大人しく家に留まらせている。
 ちなみに家に来る来訪者に対しては無視するように言いつけてある。
 訪問販売だろうが、電話だろうが全て。
 関わってしまうと彼女が何をするかわかったもんじゃないからだ。
 つまり、どっちにしておいても不安は変わらないということだ。
「―――とりあえず、起きるよ。エル、部屋から出てくれるかな。でないと着替えづらい」
「うん、わかったー」
 とととっと軽快に僕の部屋を出ると、そのまま下に下りた。
 せめてドアぐらい閉めて欲しかったが贅沢を言う必要はないだろう。
「さて、今日も一日頑張りますか」
 ベットから身を出すと、パジャマ代わりにしていたジャージを脱ぐ。
 まぁ男の着替えの説明なんていらないと思うからこの場は割愛。
 最後にネクタイを締めて着替え完了。所要時間1分ちょい。
 ちょうどそのときに僕の部屋のドアが叩かれた。
「あっちゃん? 起きてる?」
 留美の声だった。
 最近はこういう風にエルが僕を起こしにくるので留美の目覚ましは不必要に思われたのだが、これはこれでないと寂しいのだ。
 長年あったものがなくなると切なくなる。それと同じ。
「うん、起きてる」
 返事をしてからドアを開ける。
「おはよ、留美」
「おはよ、あっちゃん。―――あぁ」
 何かに気づいたようで、僕に近づく。
「あっちゃんネクタイ歪んでるよ」
 蝶ネクタイでもないのに歪んでいるとはおかしいと思うのだが、気にせず留美はネクタイを調整する。
 本当に微々たる調整だったが、留美にとれば重大問題だったのだろう。
 ふぅ、と息をつくとぴっと人差し指を立てた。
「もうっ、三年も経つんだからネクタイの締め方はマスターしようよ」
「えっと……締め方はマスターしているんだけど。留美が言いたいのはつまり、鏡を見ろってことかな?」
 実は僕は鏡を見ずにネクタイを締めているのだ。慣れとは怖いもので頑張れば寝ぼけ眼でそれをすることが可能だ。
 まぁあまり意味を成さない特技ではあるが。
 留美はぷぅと頬を膨らます。
「あっちゃんは元がいいんだから、もう少し服装とか見たほうがいいよ? パリッと決めた方が女の子は目が行くよ?」
 まぁ色沙汰ごとには興味ないので後者はおいておくとする。
「善処するよ」
 これは逃げだろうか。
 だけど、留美はそれに納得したのか頷くと、何か思い出したようにキョロキョロし始めた。
 何かを探しているような。
「―――あ、エル?」
「あ、うん」
「リビングにいなかった? 僕が着替えるからって下に下りてもらっていたんだけど」
「うーん。玄関通ったらすぐにあっちゃんの部屋に来たからわからなかったよ」
 てへへ、と照れる留美と一緒に階段を下りることにする。
 一階に下りると、やはりエルはリビングのソファで大胆に構えていた。
 留美から借りたパジャマをそのままに、胡坐をかいてソファに座っている。
 何をしているかは言うまでもない。またゲームだ。
 しかし僕たちが入ってきたことに気づくと一時中断。
 しゅぴっと腕を伸ばして、手を振る。
「あ、ぐっもーにんっ、ルミー!」
 その怒涛の明るさに押されながらも留美は軽く手を振る。
 エルはソファから飛び降りると、留美のほうに近づく。まるで犬だ。猫のほうが近いか?
「ルミー。お腹すいたー。あいむはんぐりー」
 このエセ外国人――セイレーンを外人と例えれたら――はこれまたエセ英語を使って留美に飛びつく。
 その姿は子供が母親に甘えているようにも見えなくもない。
 留美は本当の母親のようにエルを諭すと「ちょっと待っててね。すぐ作るから」と何処から取り出したのかエプロンを装着する。
 絶対留美はいいお嫁さんになるだろう。
 家事においてはほとんどやってのけてしまうのは、多分おばさんの努力の賜物に違いない。
 何故か洗濯は殺人的に苦手という途轍もない特技も持ち合わせているが。
 だが最近洗濯機が発達しているため、洗剤の量や質を間違えない限りはそれほどミスは怒らないだろう。
 それでももし起きたのならそれは彼女の才能だ。
 留美のご飯が出来るまで僕は郵便受けまで足を運び、新聞とダイレクトメールもどきを取り出す。
 同時に今日が牛乳の配達日だったのを思い出し、調べると案の定ビンが三個ほど置かれていた。
 郵便物を口に咥えると、指と指の間でビンの上部を掴んでとりあえずリビングへ向かう。
 僕のそんな異様な体勢を初めて見たエルは「おー」と感心していたが、すぐに興が削がれたのかゲームを開始する。
 牛乳を冷蔵庫に入れつつ、留美が何を作っているのか見てみる。
「今日は和食なんだね」
 僕のその言葉に「うん」と返してくれた。
 今焼いているのは鮭だったりする。照り焼きではなく本当に焼いただけの。
 となれば玉子焼きは必須だ。ホウレン草も。
 味噌汁もあったのを見て、ほとほと留美には脱帽せざるを得ない。
 そんな独断と偏見が僕の中で渦巻きながら、留美の料理は進んでいく。
 あれからエルと留美の関係は見る見る内に緩和なものになっていた。
 気づくと一緒にゲームをしていたり、会話をしていたり、風呂に入っていたりするのだ。
 たまに炎と氷のバトルが始まるが、一晩経つと自然と通常の関係に取り戻していたりする。
 エルにとれば人間における最初の同性の友人であるわけだし、気が合うのだろう。かなり信頼している。
 対する留美も最初は渋々に思えたが、今では傍から見れば親友ではないかというほどの親密さになっていた。




 今日の時間割や宿題を確認。
 時折見せるエルの不思議且つ難解な行動。
 頬を膨らませたり笑ったりする留美の表情の変化。
 天真爛漫。柔和性格。そして、単なる男子高校生。
 妙な組み合わせで朝食が始まり、そして終わる。
 タイムリミットは留美の声。
「あっ! あっちゃん、そんなにのんびりしてられないよ、今日あっちゃん日直だから」
 壁に掛けてある時計を見て叫ぶ。
 それを沿うようにしてみると―――確かにヤバめ。
 こういう役職面に対して放っておけない性質な僕には、日直という仕事はやはり大事な仕事である。
 それを理解しているからこそ、留美は急かしてくれるので何かと有難い。本当に。
「っと。それなら早く食器片付けちゃうか。留美は先に出てくれる? 片付けくらい僕がするから」
「二人でやったほうがいいよ?」
「今日はそんな気分なんだ」
 僕は笑ってそういうと、何か釈然としないようだったが納得して玄関のほうに向かう。
 ドアが閉まる音を確認し「さて、と」と声を出して食器を片付け始める。
 あまり時間がない場合は水に浸すだけで学校に行く。
 しかし、時計を改めて見るとそれほど急ぐ必要もないだろう。
 高校における日直の仕事というのは学級日誌を書く・黒板を消すぐらいなのだから。
 とは言え、学級日誌をホームルーム前に取りに行かないといけないというルールも存在したりする。
 だが、それすらもまだ余裕がある。
 だが、そんな悠長にしてられない。
 ということで少し早めに食器を片付け始める。
 台所に行き、食器を水で浸す。時間がないので軽く浸した後に洗剤で洗う。
 別の容器にその食器を浸している間にまた違う食器を。
 それを繰り返して最後に拭く。
 その工程の途中でふと思い出したことがあり、振り返る。
「エル?」
 振り返ると相変わらずテレビと一触即発の状態でいるエル。
 しかし僕の声でその状態が一気に緩和される。
「んー?」
 なんとも情けない返事だが別のとやかく言う筋合いはないし。
「いつも言っているように、誰が来ても対応しないように。電話にも出なくていい。誰か来ても玄関に出ないこと。オーケー?」
 なんとなくエセ英語を使ってみたり。
 その言葉に彼女は口をすぼめる。
「ぶー。つまんないなー。わたしはアツシやルミと一緒に遊びたいのにー。ガッコウ行きたい、行きたい、生きたい、往きたい、逝きたい!」
 目の前で駄々っ子を繰り広げてくれた。
 やや表現が間違っているところもあるのだが目を瞑る。
 だがそれも束の間、もう慣れたのか「まっ」と息を吐く。
「人間には人間の権利と義務というのがあるのはわかっているからねー。過去の人間の経歴をなんで学ぶのか未だわからないけど、それが今やるべきならわたしは折れるしかないねー。 だけど―――」
 びしっ、と指をこちらに向ける。
「帰ったら遊ぶ!」
 と決まったという顔で言ってのけた。
 その行動が本当に自分と同じくらいの少女かと思うくらい子供らしくて、微笑ましく思ってしまった。
 だから笑ってる。
「遊ぶ、といってもエルにはゲームしかないだろう?」
「言ったね、アツシー! このエクアドル=ストレンド。愛称エル。人呼んで『橙青の歌姫』には意外にも妄想力があるんだよー!」
「関係ないし、しかもそれを言うなら想像力。あわせて意外なのか」
 以前誰かに同じような展開をされた気がする。
 まぁ妄想でも退屈は凌げるだろうが、行き過ぎたそれを理性が抑えてくれるやら。
 エルに限ってそれはないと思うけどね。
 ともかく、問題はないだろう。
 子供らしいエルにとれば僕は父親みたいなもの。その父親がいったことを簡単に破ることはないだろう。
 多分、だけど。
 全ての食器を洗い終え、作業用としてつけたエプロンを外しながら時計を見る。
 予定通りの時間に自分が驚く。
 そのままエルが座っているソファに置いてあった鞄を取る。
「それじゃあ、行ってくるから。目を傷めない程度にゲームはやりなよ?」
「らじゃー」
 しゅぴっと敬礼を決め。
 テレビを見ながらだったので僕には後姿しか確認出来ないのだが、その格好は見て取れた。
 気持ちいい返事をもらって、僕はリビングから一歩外に出る。
 だが、先程見たエルの後姿に何か影があったような気がして今一度振り返る。
「―――――」
「―――――」
 ここで目が合いますか。
「……どうした?」
 口にしてみて、なんか変な気分だった。
 そんなこと訊くだけ無駄なことをしているようで。
 そんなこと言うだけで何も変わらないのに。
 案の定、エルは首を横に振った。
 先程見た後姿同様、彼女のその顔は少し影があった。
「なんでもー」
 それを微塵にも見せない口調で、エルはまた前を向いてゲームを開始する。
 気にはなるのだが、いつまでも留美を玄関で待たせるわけにはいかない。
 留美に事情を話せばいいが、それで彼女に迷惑を掛けることを考えると何か気分が悪い。
「無理、するなよ?」
 とりあえずそれだけ言って、玄関へ向かう。
 その途中ふと思い出した。


「―――最近、あの夢見てないな」


 それはエルによく似た少女の夢。
 青い髪に橙色の瞳。―――の躰。
 水の中に居る自分。水の中に居る少女。
 堕ちる僕。救う君。
 今思うと、あれは僕とエルとが出会うことを暗示していたのだろうか。
「……って僕は未来を視るとか、予知夢を見るなんて体質じゃないって」
 そして僕は留美の「おっそーい!」という言葉に我を取り戻す。
 知らず知らずの内に玄関から出ていたらしい。
「ほら、あっちゃん! 早く行かないと!」
 留美はさながらマラソンランナーの準備体操如く、腿を上げている。
 いつでもダッシュ準備オーケーというところ。
 彼女もまた僕の予想しない行動をして、笑わしてくれる。
 これは嘲笑いではない。心地よい笑い。
 さぁ、今日も頑張ろう。
「うん、行こうか」
「それじゃあ、競争! ヨーイ、ドン!」
 フライングだ。
 あとクラウチングスタートは、その……"見えかける"。








「さて、とー」
 エクアドル=ストレンドはゲームのコントローラーを手放し、背筋を伸ばした。
 んなー、と奇妙な声を上げながら。
 ソファから飛び降りて、ゲーム機の電源を消す。
 もちろん、セーブは既に完了している。
 時計を見るともう夕方近く。もう暫くすれば篤志も留美も帰ってくるだろう。
 結局ぶっ続けでやってしまったが、興味のあるものはしないと済まないエルにはそんなことお構いなしだった。
 電気代は篤志が払うのだから。
 一寸の罪悪感を持たず帰ってきたら何して遊ぼうかと考えながら、もう一度置かれたゲーム機を眺める。
「わたしの人生もゲームみたいにリセット出来たらなー。セーブして、違うルート選んでみたりー」
 はぁっと溜息をつきながら窓の外を眺める。
 そこは彼女が今まで見ることのなかった世界が広がっている。
 緑。
 木というものは自分たちの世界には存在しない。海草はあるが、野原に生えている草のように清々しくはない。
 銀。
 建物などというものは存在しない。過去、人間が造ったと思われる建造物は海に沈んでいるが鉄などではない。
 その他いろんな色が、エルの中で広がっていく。
 未知の世界。
 心が穏やかになる世界。
 それはゆっくりではあるが彼女にとって日常になっていく世界。
 エルはその綺麗な青い髪を手で靡かせる。
 さらさらと流れる様は、思わず触れてみたくなる衝動に駆られる。
 その瞬間、エルを纏う空気が変わった。
「そう思わない? バイラティラル=フィラー。愛称ラティル」
 振り返った先にはいつの間にか二つの影があった。
 一方は騎士のような格好をした男とも女ともとれる綺麗な人。
 もう一方はその人の後ろに隠れるようにして佇むメイドのような女性。
 ラティルと呼ばれた人物は、ふっと笑う。
「これはこれは。先程の人間とは態度が違うねぇ。二重人格? 偽りの仮面? 果たしてその姿を見て彼がどう思うか―――」
「黙りなさい。貴方は私の質問に答えるのが先でしょう」
 留美にもらったジーパンのポケットに両手を入れてエルは睨みつけるようにしてラティルを見る。
 篤志の前で振舞っていたのとは一転。
 彼女の口調ははっきりとしたものになり、何か威厳があるように思える。
 その圧力に押されて、ラティルは肩を竦む。
「こわい〜、と誤魔化してもあとで何が来るかわからないのでお答えしましょう。……その裏には私との婚姻に嫌気が差していると捕らえてよろしいでしょうか?」
 答えにエルは更に睨みを利かせる。
「わかっているじゃない。……それならノコノコとわたしの前に出てこないで」
「それでも、お父上の方が気が気でないようでして。ところで言葉遣い変更よろしい?」
「勝手にしなさい。それにそのことは貴方にも面と向かって言ったでしょ。わたしは―――」
「『わたしは父に縛られたくない。貴方のことは嫌いじゃないけど、恋愛は自分で決めたいの』」
 それはラティルではなく、メイドの声だった。
 メイド―――ローラの方を見るとエルの表情が若干沈む。
「ローラ……貴女はわたしの味方だと思っていたのに」
「ええ、味方です。しかしその前にラティルさまの従者ゆえ」
 そう言い頭を下げる仕草は従者としては申し分ない完璧さだ。
 だが、それがさらにエルの表情を曇らせた。
 そんな表情もお構いなしでラティルは笑う。
 ただし、この場を明るくしようという考えからではない。
 もし理由を答えるなら、ただ笑いたかったからだろう。
「そういうわけでお嬢様にはお嬢様の理由があってきたなら、こっちもこっちの事情があってきたんだよ。愛しのマイラバー?」
 両手を広げて天を仰ぐ。
「エクアドル=ストレンド。君のお父上への反発心は私にも大いに理解出来るけどね。だが、それと私の結婚とはどう繋がるのかしら?」
 怪しく笑うその姿は女性のように。
 構える姿は騎士のように。
 言葉の重さは男性のように。
 そして声の美しさは惚れ惚れするようで。
「…………」
「私が嫌いじゃないんなら、どうして結婚してくれないのかなぁ。もう婚約は済んでいるも当然なんだけど」
 ラティルは床を靴を履いたまま歩いてくる。
 笑ったまま彼の手はエルへ。
「――――ッ!?」
 そのまま顎へと持っていかれ、軽く持ち上げられる。
 嫌でも顔がラティルへと向けられてしまう。
 気分が落ち込んでいたことが彼女の最大の隙だったのだろう。
 あっさりと視線を合わせてしまう。
 怪しい、妖しい笑みは更に続く。
「このまま"あの時"みたいに奪っちゃってもいいんだよ? むしろ私にはそっちの方が好みなんだけど」
 笑いは絶えることなく。
 嗤いは止むことなく。
 彼は男の性を見せようとする。
 だがそれがエル同様、彼の隙だった。
「―――離れなさい! この、オカマ!」
 手を払って後ろに飛びのく。
 自然と髪がふわっと上がり、それがまるで意思があるように空間を青に彩る。
 地に足を着けると体勢を低くして、右手を握り締め腰へ、左手を親指を曲げ他は伸ばす。
 その左手を甲を横に向けて、顔の前へ。
 構え。どこかの拳法に使われそうな構えをエルはしていた。
 もちろんエルが拳法など知るわけがない。
 媒体はゲーム。構えは自己流。
 それでも気分は主人公。
 息を吸って、吐く。
「こんの、セイレーン界の汚点! わたしをどれだけ愚弄したいのか! 生き方ぐらい決めたっていいじゃない! わたしは確かにお嬢様かもしれないけど一介のセイレーンなの!  普通のセイレーンみたいに泳いで、歌って、いろんな人と話し合いたい! それがあの空間では出来ない。その気持ちが、貴方にわかるの!?」
 ジリッと足を踏みしめる。
 今からでも飛び出せる勢いだ。だがそんな無謀なことは彼女はしない。
 結局目の前に居るのはオカマであろうが、やはり男なのだ。
 そんな相手に態々やられるわけにはいかない。
 だが、気迫がある。彼女には押しの強い気迫がある。
 しかしその気迫は鼻息一つで振り払われた。
「私を誰と思っているんだ、セイレーン界の虚無体。私と貴女は境遇が同じ。生活もほぼ同じ。云わば一心同体の存在。その気持ち、わからないわけないじゃないか。 だがその願望を人間界に持ち込むとは如何なものかと思うんだなぁ、これが。セイレーン界で恋愛を考えようと思うなら止めなかったけど、尾を未知なる人間界に向けるもんだから」
 はぁ、と溜息。
「これは元だとしても婚約者としては見ていられないと思って、ね」
 軽くウインク。
 それだけ見れば本当に男か女かわからないだろう。
「さて、それで? 人間界に来て目をつけたのが彼なのかい?」
 彼、青山篤志。
 その言葉に体を振るわせるエル。
 何を言うつもりなのだろうか。
「彼は別段変わった趣味・思考・嗜好の持ち主ではないようだが。目を惹くものもない。そんな彼に一体どんな理由で感情を抱いたのか、さっぱりわからない。 そして君が彼の前であんな子供みたいな振りをする意味もわからない。考えれば考えるほど彼に対する思いがわからない。恐怖すら覚える」
 ラティルは頭を抱える。
「そして、笑いすら出てきそうだ」
 否、顔を隠して笑いを堪えている。
 しかし堪えきれないようで、肩が震えている。
 それが妙にエルの心を揺り動かした。
「……それがおかしい? アツシを近くに置いただけで勝手にそう解釈する貴女がどうかしているわ」
 目を細める。
 それは殺気にも似ていた。
「わたしが彼に求めたのは友情。愛情は二の次。それに未知だからこそいろんな発見がある。そこにわたしが求める世界があると信じているから」
 嘘、かもしれない。
 友情では収まらず、ラティルの言うように彼を青山篤志を慕ってしまったのかもしれない。
 あの青い空で。あの青い空の下で。
 見下ろす視線が。見上げる視線で。
 一目惚れ、なのか。
 しかしそんなことをあっさり認めてしまうのは癪だ。特にラティルの前では。
 だからエルはそれを表情に出すことなく、目を細めたまま彼を見る。
 だがその言葉を聞いても、ラティルの笑いは止まらなかった。
 訝しく彼を眺めていると―――何か違和感が出てきた。
 あったはずのものがそこにない感覚。
 さっきまで居たものがいなくなった感覚。
「私はそのことにおかしいと言ったんじゃないよ。君の感覚の鈍さに笑ったのさぁ」
 そうだ。
「―――ローラ!?」
 彼の側近、ローラがいない。
 そんな馬鹿なと目を疑って周りを見るが、やはり居ない。
「ふふっ、君の数日はローラの特異質を忘れさせるのに十分の期間だったのかなぁ? それほど幸せで平和な日常だったわけだ」
 彼女の特異質。
 それは"瞬間移動"と呼べるものだ。
 一瞬の間に、それこそ誰にも見えない速度で移動する。
 それに気づき、まさか自分の後ろにと思ったが気配が全くない。
 この部屋には自分とラティル以外の気配が全くしないのだ。
 つまり、此処には居ない。
「いやはやぁ。ローラの俊敏さには毎回驚かされるね。もうあたかも『お嬢様が見定めた相手が正しいか確かめます』の如く私たちが口論しているうちに出て行っちゃったよぅ」
 彼女の素早さはエルも承知していた。
 "一番の被害者"は自分のはずなのに。それを忘れていたのか。
 しかも、ラティルの言った言葉。
「…………さっき、なんて言った?」
 体の力が根底から無くなる感覚。
 まるで宇宙から地上へ帰ってきたときに起こる重力の重さを感じるかのように、エルの体は一気に力をなくす。
 そして心までも無になる感覚。
 その姿を見て、ラティルは嗤う。
「予想通り。ローラは君が愛する青山篤志に会いにいったよ」
 衝撃。
 それは心でも。それは身体でも。
 同時にラティルの顔が自分の近くにあった。
 そうだ―――彼"も"。
「瞬間移動は、私がローラに教えたからねぇ」
「けほッ!!」
 お腹を押さえつつ、それでも後ろに下がろうとする。
 だが後ろは壁。窓ガラスではなく壁。
 ―――気を抜きすぎた!
 しかし悔やんでもダメージは確実にエルに与えられた。
 更に逃げ場なし。絶体絶命だった。
「貴方たちは、何を、考えて、いる、のっ!」
 息も絶え絶えに声を発す。
 いや、この場合切れ切れと言ったほうがいいのか。
 その質問にラティルは笑って答える。
「さぁ? 私は私の考えで、ローラはローラの考えじゃないのぉ?」
 答えになってない。
 だが、それだけでわかった。
 二人の共通の目的は、自分ではない。




 ―――アツシ!


 青山篤志だ。




 それを気づいた今、一体自分に何が出来るのか。
 目の前の敵、ラティルは普通に倒せる相手ではない。
 しかもさっきやられた衝撃が臓器に伝わってきて、まともに体が動かせない。
 これでは、傍観者になるではないか。
「さて、どうする? 『橙青の歌姫』。このまま戦うも良し。大人しく私にやられるも良し。負けは、見えているけどね」
 ラティルの怪しげな笑みを見ながらも、エルはうっすら何かを見出し始めていた。
 歌姫。
 そうだ、自分は歌姫じゃないか。
 最大の武器があるじゃないか。
 歌。唄。唱。詩。
 歌う。唄う。謡う。詠う。謳う。
 魔術があるじゃないか。
 自分に秘めるセイレーンであるがゆえの魔術が。
 嗤う。
「答えは―――バトるー!」
 その声は篤志に対するときと同じくらい明るい声だった。









いつもより長めでお送りしました。今回。
ラティルとローラの話は少し長めに設定しているので、今回はこれぐらいにしておかないと。
さてラティルとローラ。お気づきのように彼らもセイレーン。
また二人もエルと同様、二つ名みたいなのがあるのですがそれは次回に。
そしてエルの通常。これは深く言うつもりはありません。そのまま何かを感じてください。
後に何かわかると思います。これは推理です。

かくしてバトルを宣言したエルですが、次回はローラと篤志の邂逅です。
傍観者とメイドの出会いは色々と巻き起こし始める。
実はここでごにょごにょあるわけですが、秘密(ぉ
なんか傍観者っていーちゃん(戯言遣い)っぽいけど気にしない方面で。


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