彼女は誰?
彼女は人なの?
delicate blue light
3/人魚姫
彼女はゆっくりと僕の方を向いた。
蒼色の髪、橙色の瞳、そして…
「やっと来た…遅いよ、あつし」
珠のような声。
間違いない、夢で見た彼女だ。ということは…あの夢は夢じゃなかったのか?
僕が悩んでいる姿を見て、彼女は心配そうな顔で僕を見る。
気づいた僕は彼女の方を見て、穏やかに微笑む。何も心配ないよ、と。
彼女もゆっくり微笑む。穏やかに、聖母のように。
僕と彼女の間に穏やかで暖かい空気が流れた。
彼女は僕の事を「あつし」と呼んだ。
ということは、少なくとも僕と彼女とは面識があるはずだ。
いや、絶対ある。そう確信できる。
しかし…僕の記憶を辿っても彼女に関する記憶が一切存在しない。
何故だ? 彼女は僕の事を知っている。しかし、僕は彼女の事を全く知らない。
いや、彼女の事は確かに知っている。僕の記憶からも確認できる、夢の彼女とも認識が出来る。
しかし、彼女と出会った部分だけがすっぽりと抜け落ちてしまっている。
いくら思い出そうとしてもその部分だけが思い出せない。切り取られて、無理矢理繋ぎ合わされたフィルムみたいだ。
…まいったな、この歳で若年性健忘症、記憶喪失になるとは思わなかった。
父さん、母さんにも篤志はボケーッとしてるから心配だ、って言われてるのに。
「あつし」
彼女が僕の名前を呼ぶ。僕は彼女の方を向く。
「あつし、私の名前を覚えている?」
彼女の名前? 彼女の名前は…思い出せない。
そもそも彼女と会ったことですら朧気ながら覚えていることなのに、彼女の名前を…
その時、急に彼女と僕が話している場面が脳裏掠めた。
『僕の名前は篤志、君は?』
『わたしの名前は…』
「…エル…長い名前だからこの愛称で呼んでって言ってたよね?」
彼女…エルは驚き、そして目に涙を浮かべながら頷く。
そして、一気に走ってきて僕に飛びつく。
エルは見た感じ小柄でたぶん体重は軽いだろう。しかし、僕も男としては小柄な方だ。
さらに、僕は病み上がり、足場は砂地と条件が悪い。
しかも、エルは思いっきり走ってきて勢いがついてきている。
当然…エルが飛び込んできて、僕はエルを受けきれず、彼女とともに…
「うわっ」
「きゃっ」
バランスを崩して倒れる。
幸い、砂地だったので衝撃は軽いものだった。それに、エルに怪我がないのでよかった。
「あつし、ごめんなさい」
僕の上ですまなさそうな顔をして謝るエル。僕は彼女の頭を撫でながら微笑む。
「気にしなくていいよ、次の時に気をつければいいんだから」
エルは満面の笑みを浮かべて僕に抱きついてくる。
「あつし、大好きっ」
僕の顔は一気に真っ赤になった。女の子に大好きって言われたのは初めてだ。
ましてや、エルみたいに可愛い娘から告白されるなんて…これが夢じゃないのかと思ってしまう。
僕は顔を真っ赤にしたまま、エルは僕に抱きついたまましばらく浜辺で二人寝転がっていた。
「あつし、あれから大丈夫だった?」
エルが僕の目を見ながら言う。あれから? いつの話だろう。
「う…ん、特に何もないよ」
僕はエルを安心させるために言った。本当に対した事はなかった。風邪を引いただけだったし。
しかし、彼女エルは怪訝そうな顔をして僕を見つめる。
「本当になにもなかったの?」
僕は少しむすっとして答える。
「本当、何もないよ」
「本当に?」
「しつこいなぁ…本当に何もないよ。いったいどうしたんだよ」
僕は怒ってエルに聞く。彼女は涙目になって…
「だって、あつし…」
「一回死んじゃったんだよ…」
エルから放たれた言葉は僕の思考を止めるのに十分な力を持っていた。
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