イマイチをゆけ!



 1.

 誰かが何かを叫んだ気がする。
 だが、全く自分とは無関係だろう。無関係にするべきだ。
 この清々しい昼休みをたった一言の叫びによって遮られてはいけないのだ。
 よし、そんな気持ちに相応しく屋上で光合成でもして――――
「イマイチ先輩!」
 一歩踏み出した途端、耳元で叫ばれた。しかもかなり甲高い声。
 周りの生徒が何事かと振り向いたが、僅か数秒で時間が戻る。
 思わず耳を塞いだが、敢えて無視してリノリウムの廊下を突き進んでいく。昼休み残り時間三十分程度。
「無視ッスか! 無視ッスか! イマイチ先輩無視ッスか! こんなか弱い後輩を無視ッスかぁ!?」
 ぴょこぴょこ隣で跳ねている存在が視線の先に入る。兎か、こいつは。
 ちなみに先程の台詞は一呼吸でしていたりする。
「誰がか弱いだ。元気一杯の破天荒娘が」
「お。気づきやしたね」
 江戸っ子? いや、こいつは確か山形の生まれのはずだ。方言喋らないけど。
 仕方なく向き直ってやると、見知った顔の娘がオレを見上げて笑っていた。
 髪を肩で切りそろえ、目がぱっちり、小柄で、まだ幼さを残す顔。
 こうして笑っていれば美人、美少女に見えるんだがな。喋るとこいつは止まらない。
「イマイチ先輩、さっきから100オームで叫んでいるのに全然気づいてくれないッスもん」
「二言、言ってやろう。オームは電気抵抗だ。次の一言は耳をかっぽじって聴け」
 身を倒してヤツの身長に合わせる。一旦目を瞑ってから、

「オレはイマイチじゃねぇ。今樫一八(いまがし・ひとや)だ」

 やや凄みを利かせて言ってやった。
 のだが、そんな態度はヤツ――橋凪渚(はしなぎ・なぎさ)にとれば何でもなく「やっと相手してくれたッス」と喜んでいるようにしか見えない。犬か、お前は。
「そうは言われましても、もう既に、なぎーの脳内にはイマイチ先輩はイマイチ先輩としてインストールされていますので、今更デリートなんて出来ないッスよ」
「アンインストールしてそのソフトを破棄しろ。オレが一からお前の脳内を弄り回してやる」
「エロいッスよー」
 どこがだ。
 ちなみに『なぎー』とは橋凪の一人称だ。そろそろ大人らしくするべきだと思うが。
 もし高校三年間で治らなければ、こいつは電波決定。
 あ、その時はオレは学校にいないのか。留年しなければ。
 しかし、イマイチと呼ばれてイヤというのがこいつにはわからないのだろうか。わからないんだろうな、きっと。
「むむっ。何やら変な気配がしたッスよ。イマイチ先輩、今『こいつ、何もわかってねぇな』って思ったッスね!?」
 当たっているから考慮してくれ。烏の如く。
 勿論、こいつがイマイチなんぞと呼ぶ理由はオレにもわかっている。
 今樫一八。今一。イマイチ。
 考えれば考えるほど親の策略が感じられるが、元々この名前には策略があるのでなんとも言えない。
 しかも橋凪がオレをそう呼び始めたからこそ、校内認定で「イマイチ」になっている。
 最近では教師すらも呼び始める始末だ。いつかシメる。
「それよりなんだ、橋凪。オレの貴重な昼休みという時間を割くとは」
「そうッスよ、そうッスよ! イマイチ先輩、そうッスよ!」
 もうイマイチは諦めることにする。
 ピッと人差し指を立てて、橋凪は真剣な顔で告げた。

「なぎーは生理が来ました」
「イマイチだ」

 んなこと公の場でするな。あとそれならそれらしく、大人しくしろ。




 2.

 まわれまわれ せかいよまわれ
 とんとんびょうし に ほをすすめ
 あしあとにははなが ゆくさきにはくさが
 とんとんびょうし に ほをすすめ
 めをそらに こえをそらに たからかに

 橋凪を半ば強引に払いのけ、念願の屋上に辿り着くとそこには先客がいた。
 目鼻がすらりとし、まさしく日本の女性を思わせる黒髪が風になびき、プロポーションもほぼ満点といってもいいだろう。
 オレが屋上のドアを開けるとそんな娘が胸の前に手を組んで歌うように呪文を告げていた。いや、この場合祝詞というべきか?  興味ないから別にいいか。
「おっ。遙先輩ッスね」
 腰に必死こいてしがみついていた橋凪がやや力を緩めて、オレの目線を追う。
 どうやら半ば程度では橋凪という小悪魔はオレの元から離れてくれそうにないようだ。
 疎ましかったがこいつの場合意地でも離さなさそうだから放っておいた。何が目的なのかしらんが。
 というか、生理は大丈夫なのか。こいつ。
 やや時間を置いて橋凪の言葉に頷く。意味はない。理由はあるが。
「面倒くさいヤツだ。毎日毎日願掛けしてるなんてな」
「それ、恋人に言う台詞じゃないッスよ! イマイチ先輩、ひどすぎッス!」
「恋人だったら何されても許されるのか。橋凪、よく覚えておけ。世界はかくも美しい、あれは嘘だ」
「偉人の言葉をあっさりと!?」
 誰が言ったかしらんが。
 橋凪の叫びが祟ったのか、歌っていた本人――彼方遙(かなた・はるか)がオレたちの存在に気づいたようだ。
 視線を合わした瞬間、遙は喜んでいるのか恥ずかしがっているのか、顔を上げたり下げたりしてこちらの様子を窺っていた。
 何か、オレが攻撃するとでも思っているのか。猪みたく。
「お、お、おー。遙先輩はイマイチ先輩に見つめられて恋愛度が急上昇ッスよ! 心の中ではどんな欲望が渦巻いているやら。なぎー、ぷちしょっくッス」
 何がぷちしょっくだ。
 そんな橋凪を一発小突いて、改めて遙との距離を縮めることにする。
 そのたびにびくっと体を震わす遙はまるで追い詰められたハムスターのようだ。
 まぁ小動物という印象は確かに受けるが。ここまで過剰に反応されてはオレが悪人になる。
「落ち着け、彼方遙。オレの恋人になる条件をその場で述べろ」
 遙は言葉を聞くなり、ぐっと手を握り―――――オレの眼前へその拳を突き出した。

「『震えず、恐れず、前を見、てめぇの生き様見せてやれ』、です」
「合格だ」

 頷くと、一気に気が抜けたように肩を落とす。そんなに緊迫する台詞か、これは。
 しかしそれで大分気分が和らいだのか次に見せた顔は、彼女独特の癒し効果を持った笑顔だった――と橋凪が言っていた。オレにはよくわからん。
「数分前振りです。ひとやくん。それに、こんにちは。渚ちゃん」
「うぃッス! いや、やはり遙先輩。どこかのイマイチ先輩とは気付く速度が違うッスよ!」
「はっきりオレと公言しているじゃねぇか」
「『オレはイマイチじゃねぇ』じゃないんッスか?」
 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてくれる。だからもう諦めたんだ。呆れたんだ。
 その態度に「反応鈍くてつまらないッス」と言わんばかりに肩を落として、話題を切り替えた。
「しかし、イマイチ先輩? 毎度思うんですが、いまいち恋人になる条件が不純ではないか、と」
 肩まで伸びる髪の毛をくるくる回しながら、橋凪は問いただしてきた。
 だが答えたのは遙だった。
「そんなことないですよ、渚ちゃん。ひとやくんの恋人になるためには最低限の心得を持たねばなりません。 人を好きになるには条件が必要です。ひとやくんのあの条件もそれに当てはまるもの。全く、不純ではありません」
「……『恋は猛毒』ってやつッスね」
 死ぬのか。
 確かに恋人になる条件という名目でオレの教訓を伝授してやったのだが、ゆっくりではあるが遙はそれに習おうとしている。
 当初はオレの後をこそこそとつけてくるだけだったのだが、今では隣、前を歩くほどに成長した。
 おどおどして、先程のように萎縮している場面も以前に比べれば少なくなった。橋凪曰く、癒し系の笑みを人前で浮かられるようになったのだ。
 恋人を何とする、という声もクラスではあがったのだが恋愛が下手なオレが出来るのは精々これだけなのだ。
 つまるところ、やはりオレも遙が気にいっているのだろう。他の誰よりも。
 ―――あの頃から。
「なんというか、両先輩方の関係は恋人というより師弟関係みたいッスねー」
 的を射ている発言。傍から見れば確実にその印象を受けてしまうだろうな。
 遙はそれに嫌な顔を一つせず、少し頬を染めて目の前で指を絡ませている。
「私は、ひとやくんと一緒にいれれば、それでいいですから。そうおっしゃられても構いません」
 その言葉に橋凪は大きく溜息。しかし即座にオレに振り返り白い歯を見せて怪しげな笑みを浮かべた。
「恋の最高気温は更に上昇ッスよー」
「やっぱ脳内弄り回すか?」
 時間が止まった後、くさい台詞を放ったヤツの髪を両側に力の限り引っ張ってやった。
「ぬをぉぉぉ!? 痛いッス! 痛いッス! イマイチ先輩痛いッス! なぎーの髪が横跳ねバピョーンになっちゃうッス!」
 バピョーンなどと鳴いている奇怪な動物には引き続きイジメを決行。視線だけを遙に送る。
 オレと動物との触れ合いを遙は聖母の如く眺めていた。動物の叫び声など全く聞こえていないようだ。
「でだ。遙。お前、相変わらず呪文を唱えていたのか」
「はい。私の家系の問題ゆえ、これだけはさすがに日課となり外せないのです」
 遙の家は神社。つまり彼女は巫女、または神子の役職に当たっている。
 古くから続く家柄らしく、古臭い伝統は消えつつある現代には珍しく先祖からの伝統に従って生活しているらしい。
 この祝詞もどうやら彼方家に伝わるもののようだ。オレには歌の歌詞、ゲームの回復魔法程度にしか感じられなかったのだが。
 何故遙がしつこいまでに続けているのかはわからないが、彼女なりのケジメというのがあるのだろう。
 以前途中で口出しをしたら「いくら、ひとやくんでも途中で止めさせる人は折檻です」と言われ、気がついたら保健室にいた経験がある。触らぬ神に祟りなし、というやつを身をもって感じた。
 というか、何者だ。
 柔らかく答えた遙だが、裏では何か違うものが聳え立っているようで少しだけ恐怖を覚えた。
「そういえば、ひとやくんはよろしくても、渚ちゃんが屋上に来るのは珍しいですね」
 オレは毎日のように屋上で寝ているからな。主に昼休み。
 考えれば橋凪は昼休み中、姿を見ることはない。教室にいるのか、はたまたオレの近くにいながらも気配を隠しているのか。肉食動物か。
 遙が質問したので仕方なく髪から手を話してやると「おー、おー……」と頭を擦っている。
 結構髪を引っ張られるとその部分が、かなりムズ痒くなる。実際、擦りながら髪が乱れるほど掻き毟っているしな。
 だが遙の質問を聴きなおす(聴きなおしたのか)と、途端に掻き毟りを止め、思い出したように両手を上下に降り始めた。忙しいヤツだ。
「そうッスよ! そうッスよ! お二方そうッスよ!」
「生理なら暴れるな。あとでブルーになるぞ」
「渚ちゃん、生理なのですか?」
「いやいや! というかそれは嘘なので遙先輩にはご内密に、とあれほど言ったじゃないッスか」
 言ってねぇよ。
 今の今までオレに対する侮蔑しか聞いたことがない。あと叫び声。
 他にも聞いた気がするが、あれは空耳だ。オレの脳内では橋凪がオレを侮辱している言葉しか残っていない。
「いいッスいいッス。生理は定期的にくればもうすぐッスから。なぎーを襲うなら今ッスよ?」
 何故、そこでオレを見る。あと定期的にくればってお前の生理はランダムか。
 あと、お前の背中にいるヤツの視線が怖いから。早く話を通常に戻せ。てめぇの通常ではなく、世間一般の通常に。
 その後、ぶつぶつ嘆きながらスカートのポケットに手を突っ込む。
 じゃっじゃーん! という効果音(勿論、橋凪の声)で取り出したのは一枚の紙。ナプキンじゃないみたいだな。
 取り出したと同時にオレは橋凪の背に合わせて体を屈めて、出された紙を覗いてみる。
「イマイチ先輩? 腰を屈めてくれるのは嬉しいッスが。それはなぎーにとれば屈辱でもなんでもないッス」
 何か言っているが無視。というより、差し出す位置が悪ぃんだよ。
 背が小さいことにコンプレックスを持つのは勝手だが、八つ当たりはいけないな。
 さて差し出された紙だが、筆か何かだろうか、きっちりとした筆跡で文字が書かれていた。

『 コ     ロ     ス 』

 明らかに殺人予告っぽかった。
 オレと遙――遙は遅れて見ていた――はそれを見た瞬間、
「イマイチすぎだな」
「イマイチです」
 冷静に言ってしまった。
 コロス――殺すと書かれた紙は至って普通の市販されているメモ用紙のようだった。
 これでチラシの裏とかに書いていたら最高だったのだが、どうやら書き主はそれほどユーモアを持っているようなヤツではないらしい。
 まぁ、殺人予告にギャグ狙ったのならとんでもない馬鹿なのだろうが。
「それでですね。これがなぎーの机の中に入っていたわけッス」
「渚ちゃん、殺されてしまうのですか?」
 心配そうな顔で橋凪を見る遙。先程までオレと一緒にイマイチと言っていた姿は消えていた。
 こう、心変わりが早いというのか、臨機応変というのか。恋人のオレでもまだ理解できないようだ。
 むしろ、遙が不思議だらけというならば、疑問は解決だが。
 橋凪は遙の質問に、首を振って否定した。……否定?
「どういうことだ、橋凪。それはお前の机の中に入っていたわけだろ。んじゃなんでお前宛じゃないんだよ」
「いえいえいえ。それがイマイチ先輩。不思議なことに、宛先がなぎーじゃないんッスよ」
 殺人予告状を受け取り、ついでにそれが入ってあったという封筒まで差し出された。
 封筒を見せてもらうと律儀に宛名が書かれてあった。そうか、ここがギャグ狙いか。
 そこには橋凪渚という名はなく、代わりに違う名前が書かれてあった。
「『御酉那乃羽(おとり・なのは)へ』」
 隣から覗き見ていた遙が宛名を読んだ。聞いたことあるようなないような名前だった。
 難しい名前なので印象に残っているはずだが、オレの頭の中には微塵も残っていなかった。
 不思議そうな顔をしていたのだろうか、オレの顔を見て遙が説明してくれた。
「御酉さんは、今の生徒会長ですね。現在2年。歴代最初の女生徒会長としてかなり活動なさっています。 確か、私とひとやくんの隣のクラスでした。聡明で生徒を第一に考える素晴らしい生徒だと先生方から高評価を得ていらっしゃっているようです」
「おー。遙先輩、物知りッスねー」
 橋凪が素直に感心していた。こうしている姿はオレからすれば珍しい部類に入る。
 遙が記憶力と情報収集に長けているお陰でオレも微かにだが御酉那乃羽の姿が思い出されてきた。
 そういえば以前生徒会選挙のときに演説をしていた気もする。
 生徒会選挙などというものはほとんど全員気が入らない学校行事である。盛り上がるのは前生徒会・放送部員・立候補者・応援演説人ぐらいだろう。
 オレたち他の生徒にとればそんなものは高校生活の通過地点でしかない。
 誰も興味のないイベントは脳内における記録が極端に薄くなる。オレもそれに倣ってしまったようだ。
「それにしても、なんでお前の机の中なんだ。橋凪と御酉という少女は無関係なんだろ?」
 橋凪は1年。御酉は2年。橋凪は生徒会役員ではないし、部活は無所属。
 そんな二人に接点は見られない。橋凪が届けることは不可能だろう。
 無差別に送ったという可能性もあるが、殺人予告は騒ぎを招く。やはり直接相手に渡した方がいいのだろうが。
「や。それがッスね。なぎーと御酉先輩は、実は違う階ながらも同じ教室の同じ席らしいんッスよ」
 ああ、そうか。そこもギャグ狙いか。
 例えば橋凪の教室を1−3、席を窓側の一番後ろとしておこう。何故かって? 橋凪のクラスなんぞ知らんからだ。
 続ける。犯人――いや、まだ犯罪を犯していないから届け人とでも言っておこう――は、2−3の窓側の一番後ろに届けたかった。
 だが、どう焦ったのか階数を間違い、1−3に着いてしまった。しかもどうしてかクラス札を見ずに入ってしまった。
 もう既に2−3と確信している届け人は即座に持っていた殺人予告を入れて、逃走、ということらしい。
「馬鹿」
「って、なんでなぎーを見ながら言うんッスか!?」
「とりあえずこの封筒と予告状、御酉さんに渡しませんか? 殺人とは人を殺すこと、尋常ではありませんから」
 あくまで冷静に遙は言った。普通の人間ならば慌てるところだが、さすが、とだけ言っておこう。
「うぃッス! それで御酉先輩がよくわからないので、先輩方を探していたんッスよ。一人で他学年の階に行くのは心細いッスからね。なぎーと仲良くしてくれる先輩はお二方しかいませんから」
 とか言いつつ、さっきオレの隣で叫んでいたじゃねぇか。あれは2年の教室の前のはずだったが。
「そういうことならご案内しますよ。先程言ったように、隣のクラスですし、少しですが幾らか談笑した経験があるので顔も覚えられていると思いますから」
 オレみたいな記憶力極悪じゃなかったらな。
 喜ぶ橋凪と一緒に笑う遙という親子のような微笑ましい光景をオレはつまらなさそうに見ていた。
「その前に―――」
 遙はその笑みのまま、手をぽんっと叩いて、

「お弁当にしましょう」

 至って世界は平和のようだ。




 3.

 遙の弁当は言うまでもなく絶品で、初めて食した橋凪は涙を流しながら箸を動かしていた。 そのスピードはとんでもなく、三段重ねの重箱を一人で一段食ってしまうような勢い。勿論、オレはそれを箸で防ぎながら自分の分を死守しつつ食べていたのだが。 口々に美味しいと言う橋凪とただ食べているオレを見て、遙は本当に嬉しそうに見ていた。視界の先にしか映らなかったが、確かに笑っていた。 途中、あまり取らせてくれないとごねる橋凪と箸バトルしたのは今日のいい思い出になるだろう。結局、勝敗はどっちつかずだったが。
 ―――などという昼食談はこれまでにして。
「改行なしでモノローグを語るなんて余程忘れ去りたい記憶なんッスか? お邪魔虫ッスか、なぎー」
 モノローグにツッコミを入れるな。どこかのゲームの主人公か。
 ともかく、美味しく頂いた重箱は俺が持つことにして、オレたちは目的地である御酉那乃羽の教室に行くことになった。
 案内役は勿論ながら遙だ。橋凪はこう見えても人見知りらしいし、オレは人と関わるのを極端に嫌うからな。
 時折、オレの隣に歩く遙に挨拶をしてくる者がいた。律儀に礼を交わしながら、目的地へと向かっていく。
 素直に人望が厚いと思ってしまった。物腰が低いという性質もあるのだろうが。
「ふむふむ、イマイチ先輩も遙先輩にゾッコンのご様子。なぎー、激しょっく」
 わざとらしいショックの受け方はやめろ。
 遙にもその言葉が聞こえたらしく、途端に動きが停止して顔が紅潮してしまった。
 こうなったら当分動かなくなってしまうのはオレがよく知っている。それに、橋凪も。
「……橋凪、お前、楽しんでいるだろ」
「いやいや! そんなつまりは滅相もないッスよ? 初々しい恋愛ってのはいいッスなー」
 年下に言われたくねぇ。
「遙。早く行かないと昼休みが終わる。さっさと終わらしたいなら早く行くぞ。極意」
「『顔上げろ、心落ち着け、雑念払え、そして構えろ』、です」
「よし」
「うわぁ。だんだん遙先輩がイマイチ先輩に汚されていっている感じッス」
「穢されても、構いません!」
「犯されッスか!?」
「賑やかだな、お前ら」
 やっぱ、いまいち遙の性格が捉えられん。
 橋凪の頭を片手で掴みながら歩いていくと、やっと目的地に到着。本当にオレのクラスの隣だった。
 少し待っていてください、という遙の言葉でオレと橋凪は待つことにした。
 バタバタと下で暴れているが運が悪かったと思ってそのままそうしていろ。
 結構掴み心地がいい。こう、フィットっていうやつか?
「掴むなら、なぎーの――」「やめろ、トンデモナイことを言いそうで怖いから」
 とりあえず、遙が御酉という少女を連れ出した後のことを考えねばならない。
 来た直後に橋凪が差し出しても、それは橋凪が犯人のようにしか思えないしな。
 どう切り出すか。大抵のことは遙がやってくれるだろうが、出来れば相手にショックを与えない程度に切り出したい。
 あー、めんどくせぇ。
「ひとやくん、連れてきました」
 そうこうしている内に遙がやってきた。どうやら相手も顔を覚えていたらしい。
 出てきた御酉那乃羽は、一見生徒会長には思えない風貌だった。いや、ガラが悪いという反対の意味でなくて。
 どこにでもいるような普通の少女。少し勝気の強そうだがそれも許容範囲内だろう。
 これが新時代の生徒会長と言っても申し分ないだろう。そんな雰囲気が漂ってくる。
「ひとや?」
 御酉は遙の声を聴くなり怪訝な顔をして、ゆっくりとオレの顔を見てきた。
「あー。あー。貴方が彼方さんの恋人っていう、今樫一八。イマイチくんね」
「初対面のヤツに言われるとすっげぇ腹立つからやめてくれねぇか」
「そっちこそ初対面の相手に酷い口調ね。社交性ゼロ?」
 すまん、こいつガラ悪いかも。
「おっと! イマイチ先輩にライバル現れるッスか! なぎー以外に!」
 ジタバタと手足を動かしながら吼えている獣は放っておく。
 そろそろうざくなってきたから、シメてみるのも一考だな。
 まぁ、それは後ほどの楽しみにしておこう。こいつでもいないとつまらないからな。
 とりあえず、少しだけ橋凪を掴む手に力を込めて黙らせてみたり。
「暴力で物を言わせるのは弱者の仕方よ?」
「オレは言葉で気持ちを伝えるのは苦手でな。行動で示さないと納得できないわけだ」
「それはこじ付けじゃない? 暴力を行使するものは大抵そう言うわ。言葉が無理だった、だから力を使う。どこの武装国家よ」
 はぁ、と溜息を吐きながら額に人差し指を当てる。
 どうやらこいつとオレは一生仲良くなれない気がするな。せいせいするが。
 この際、どうでもいい話題は放っておこう。橋凪との触れ合いなんて日常茶飯事だしな。
 遙に視線を送り、頷くのを確認すると今度は橋凪に視線を送った。
 敬礼をした橋凪はポケットから例の封筒を取り出す。丁寧に宛名が書いてある方向を表にして。
「御酉さん。これが先程言った―――」
「ふぅん……」
 どうやら説明は不要だったようだ。
 御酉はおずおずと差し出された封筒を受け取って、裏表を確認。封筒から紙切れを取り出して中身を見て。

 ―――破り捨てた。

「馬鹿馬鹿しいわね」
「オレもそう思ったがな」
 予想通りの展開をどうもありがとう。
 御酉が千切り破った予告状はまるで桜のように舞っている。
 これを一瞬でも美しいと思ってしまったオレは変態だろうか。
 いや、こうして千切り捨てた御酉も少なからず自分の行動を誇っているはずだ。
 今時そんな演技をする人がいるとは、生きてみるもんだな。
「あーあー」
 橋凪がさも名残惜しそうに地面に広がる紙の破片を眺めていた。勿論、オレに頭を掴まれたまま。
 首でも吊った様に、だらんと体を垂れさせ見ている姿は少し、少しだけ哀れに見えた。
「少しお気に入りの紙だったんッスよねー。捨てるならなぎーにくれればいいものを」
「何に使う気だ、何に」
 殺人予告が書かれている紙を。
 だが橋凪は、ぐふふと笑っただけで何も答えなかった。もう二度と訊かないことにしよう。
 訊いた瞬間死ぬといった呪いがかかりそうだ。橋凪ならやりかねん。
 御酉はあまりにもオレたちが冷静なのに気付き、驚いた顔をしたが、すぐに元の見下すような表情に戻る。
「冷静冷静。予測はしてたけど、あまりに冷静すぎね。精神がおかしいのか、体が慣れてしまっているのか」
 顎に手を当てて、舐めるようにしてオレの体を見ていく。変な気分だ。
「御酉さん」
 そこで遙が声をかける。見ると眉間に皺が寄っていた。
 その顔からは必死というものが直に伝わってきた。
 おっと、とおどけてみせると御酉は軽く笑って手を振った。
「大丈夫よ、彼方さん。貴方の彼氏をとるほど人間悪くはないし、こんなのこっちからお断りだから」
「奇遇か必然か、オレも同感だ。お前と付き合うくらいなら熊と抱き合っていた方が良さそうだ」
 もっとも、熊と抱き合うなんて暑苦しくて嫌だが。
 まぁ世界には全ての動物と触れ合いに行くという有名大学卒のご老体もいるから、なんともいえないが。
「それにしても貴方たちも律儀に私に渡してくれたのね。放っておけば私は知らずに死んでいたかもしれないのに」
 そう言うと、散らばった紙屑を眺めた。
「御酉さん。貴女は死ぬということが怖いのではないのですか?」
 先に声を出したのは遙だ。
 御酉の言葉に若干驚きを隠せないようだが、訊かなければ前に進まないとわかっているのだろう。
 こういうとき、素直に質問を出せる者がいて幸運だった。
 橋凪はアレだし、オレは答えが分かっていたからだ。
 何故なら、御酉とオレは少しだが似たもの同士だから。似ているからこそ答えが予想できる。いや、断定できる。
 少し考える仕草を見せた後、彼女は嗤いながら答えた。
「彼方さん。私は死をそれほど理解していないの。貴女もそうでしょ、まだ人生先が長い死ぬのはもっと先だ、って。 それと似たようなもの。私は死がどんなものであるか予測も予想もしていない。殺せるものなら殺せるものなら。 私を殺せるものならやってみなさい、ってそう思ってしまうの。だから今は死が怖くない」
 本当にそれはオレたちと同じ年齢の少女が言ったのだろうかと思うほど、恐ろしい言葉の羅列だった。
 納得できる納得できない。認められる認められない。
 冗談だ冗談でない。怖い怖くない。似ている似ていない。
 いろんな言葉の表裏が彷徨う思考。台詞が本当に真実を述べているのか虚実を述べているのかわからない。
 それほど御酉の言葉は現実味と空想性に満ちた台詞だった。
 その言葉に遙は声が出せない。何かを言おうとしても彼女には口で負けてしまうだろう。
 考えると、そんな相手と遙は談笑していたという。一体何について会話をしていたのだろう。
 御酉よりも遙が気になった。それ以前に橋凪が気になった。
 こういうとき一番に声を上げていそうな橋凪がだんまりなのだ。不思議に思い顔を覗くと―――寝てやがった。
 オレのホールディングはアロマテラピーか何かか。
 呆れてまた力を込めていると、
「……わかりました。それでは御酉さん、“確かに”届けました」
「えぇ。彼方さんには申し訳ないことをしたわね」
 オレには謝罪なしか。
「いえ、それでは」
 遙は一礼をするとオレの腕を引っ張って歩き始める。
 突然のことで頭が働かなかったが、真剣な顔を見て素直に従うことにした。
 どうせオレも何も言うことがないしな。
 とりあえず落ちそうになりかけた重箱の体勢を立て直しておく。
 橋凪もいきなり動き出した拍子に目を覚ました。
「おっ! いつの間にやらイマイチ先輩が遙先輩に引っ張られているッスよ! まさか、今かららぶりーイベントが!」
「起きねぇよ。前後関係考えやがれ」
 そもそも、お前がいる前でイベントぶちかますか。
 五月蝿い橋凪の声をBGMに、後ろを振り返った。
 だんだん距離が遠のく御酉の姿を見て、それこそオレは笑った。
 遙は『確かに』と言った。御酉は『今は』と言った。
 それが物語の展開を表していた。まだ、これが始まりなのか終わりなのかわからない。
 だが確実に未来は、未来視という能力を持たないオレでも感じることが出来た。
 ともかくオレたちが出来るのはここまでだ。
 橋凪と遙は『予告状を届けに行く』ことを目的として、御酉の元へ向かった。
 そしてオレは付き添いとして二人に付き合った。つまり傍観者でしかない。保護者でしかない。
 つまり。


 ―――これ以降、何が起きてもオレは知らないということだ。


 昼休み終了の予鈴が、始まりを告げるかのように、静かに鳴った。








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