イマイチをゆけ!



 1.


 舞う。
 舞う。
 舞う。
 袖を翻し、滑らかに、ときに荒々しく舞う。
 足を止め、穏やかに、ときに雄雄しく舞う。
 神楽。
 神を祭るための舞踊。本来ならば和琴や大和笛、篳篥などの楽器を用いて踊るらしいのだが今回は型の復習らしくその音はどこからも聴こえない。それでなくとも彼女――彼方遙の舞う姿は、まるで神でも憑いたかのように神々しく、見る者を魅了させる。憂鬱そうな半目や儚げな舞がそうさせるのだろうか。それとも、彼女自身の内に秘める『何か』が……………。
「ひとやくん?」
 呼びかけられて、世界を現実へ引き戻す。
 神楽殿の上に、白衣と緋袴という巫女装束を着こなした彼方遙が首を傾げてこちらを見ていた。
 オレ――今樫一八は首を横に振りながら「大丈夫だ」と、やや強引に頭に浮かんだ事柄をかき消した。
「なかなかの舞だったな。静と動が一体化していて、流れも滞っていない。オレは能だの歌舞伎だのといった芸能には興味がないんだが、これだけは妙にしっくりくる」
「形は違えど、舞は基本的に同じですよ。小説を選ぶのと同じです。最初に興味もったものから同じ系統、同じ作者から違う系統と部類を増やしていくことで興味対象は増えていくと思います。けど、しっくりくると言ってくれて、とても嬉しいです」
 屈託なく笑う彼女に、オレも笑みを返す。
 ここは遙の家系が継いでいる神社だ。その造りは意外としっかりしている。見渡す限り一通り神社に必要なものは揃っているようで、この神社が高度経済成長期に乱雑に建てられたものではないとわかる。つまりはこの山に霊的な何かがあるのだろう。ちなみに御神体はご多分に洩れることなく幹の太い大樹だ。樹齢? 屋久島のよりは若いと勝手に判断。そもそも御神体なんてものは、樹齢よりそれに対する人々の信仰心が重要になる。それを御神体として祭ってあれば、それをそれと信じている限りは御神体なのだ。
 ふと、遙の額に汗が浮かんでいるのが見えた。息も少々荒れている。
 夏の暑さも影響しているだろうが、大部分は舞が占めているに違いなかった。
 緩やかな舞とはいえ、静と動を組み合わせる舞踊はそれだけで体力を消耗する。一挙手一投足がその舞の美しさを決めるのだ。些細な乱れがペースも美しさも壊してしまう。そのようなものに誰かに見られているというプレッシャーも合わさると汗もかきたくなる。
 手を翳して空を見上げれば、日も真上に昇っている。朝からやってここまで出来れば十分だろう。
「休憩しろ、遙。もう昼になる。ここいらで休んでおかないと倒れるぞ」
「え、あ、はい」
 その言葉に、今気付いたかのように遙は空を見上げた。いや、本当に今気付いたのだろう。彼女は一つのことに集中すると周りが見えなくなる性格がそれを証明している。
 首肯すると神楽殿から下りてくる。
「何事も無理することは悪影響になる。極意」
「『己を過信するな。まず己の力量を知れ』」
 条件反射気味に拳を胸に押し付けると、その表情は真剣な眼差しに変わった。
 別に呪いの意味をもっていない心構えの言葉だが、それでも彼女はそれを忠実に行っている。まるで主従関係のようだが、それを否定するつもりはない。お互いその関係に不満も不安もない。中にはそれを見てオレが遙を突き放しているという印象を持つヤツがいるが、それは全くもって真逆だ。もし突き放しているのなら、こうも毎日朝早くから遙の舞の練習を見に来るはずがない。
 考えてみると、もしかしたらオレは彼方遙に依存しているのかもしれない。
「ちょっと待っていてください。お茶を持ってきますから」
 遙は白衣の袖を翻すと、社務所の方へ走り出した。袴が若干、彼女の動きを遅くしているが慣れたもので、自然な動きで進んでいる。
 止めようかと思ったが彼女の性格上、言うことを気かなそうなので咽喉の時点で言葉を止めた。
「それに、オレには茶なんて入れられねぇし」
 もちろん言い訳だが。
 しかし、そうなると必然にオレひとりだけになる。もともと静かなところが好きなのでよかったのだが、もしこれが橋凪のヤツなら発狂しているに違いない。それこそ「くふぉーっ!!」などという奇声のオマケつきで。迷惑極まりない。
 その橋凪は今、オレの家でニナと夏休みの宿題に奮闘している。もちろんニナに勉強を教えているわけがない。逆。中二のニナに高一の橋凪が教えてもらっているのだ。こんな学生を入れているのだから、うちの高校はおおらかだ。言い換えよう。大丈夫か。
 などと脳内で橋凪を虐めてはみるものの、それだけで時間が過ぎるほど、世界は簡単なものではない。
 好きな時間は早く感じられ、嫌いな時間は遅い。それが現実。
 遙のことだから、どうせ茶葉から用意しているに違いない。もうしばらく待つしかないようだ。
 などと悠長に神社の周りを囲む緑を眺めると、


 ―――階段の上る音が、木々の重なる音と共に流れてきた。


 神社なのだから、参拝客がいてもおかしくはない。実際、オレが遙の舞を眺めている間にも両手で数えるほどのご老体が参拝しにきていた。ご老体らは遙の舞を見ると手を擦り合わせて何事か呟くと、そのまま拝殿へと向かっていっている。
 だが。だが、今上って来ようとしている人間にはそういった『気配』がない。
 参拝する気持ちも、何かに縋ろうという気持ちも、信仰心も、自尊心も―――そうだ。これは、感情が、無い。
 無感情。無関心。無気力。無秩序。無防備。無慈悲。無機質。無意義。
 世界を達観している。時世を静観している。
 つまりは、そう。

「オレと同類か」

 その言霊は風と共に流れ、

「―――――」
 貴方と同属ではない、という小声と共に少女は階段を全て上りきった。

 彼女はまるで世界に切り離されたかのように薄い色素の持ち主だった。
 白いワンピースに肘まである白い手袋、白い靴に、白い日傘を差し、夏の暑さを避けるように身を真っ白な要素で染めている。ふと、カモメの水兵を思い出してしまった。
 だが、それだけならば白い色が好きな偏屈な人間とオレの思考は認識するだろう。違う。それだけではない。それだけで彼女を『持ち主』などと名付けるわけがない。
 白い。ワンピースから覗く腕も足も、傘に隠されて口元しか見えない顔も、そして―――髪自体も。
 アルビノという病気の一種がある。劣性遺伝子の影響で体内異常が発生し、太陽光などの外部の刺激に弱い体質になってしまうという先天的な病気だ。特徴として異常なほど白い肌が挙げられ、場合によっては瞳の色に影響するケースがある。
 見たところ、それに該当する姿であるが、敢えてそれを口にすることはしない。
 そもそも人間というのは欠点を指摘されることに臆病であり、脆いのである。ならば、言わずにおくのが人間関係を穏便に保っておく術だ。
「―――――」
 小さい。あまりにも小さい声なのに、その声は燐と風に乗って脳に響いてきた。
 曰く、目は口ほどにものを云うという言葉を知っていますか、だと。
 傘をあげて視線を合わせてきた彼女は、その目を猛獣のように睨みつけてきた、ような気がした。あくまで彼女の表情は無、眉も頬も微動だにしていない。感情の揺らぎなど一切感じられないのだ。
 それなのにもかかわらず、『睨みつけてきた』と感じる力。成程、確かに目は口ほどに云々だ。
 オレは頭を下げた。
「謝ろう。今まで奇異な人間をいろいろ見てきたオレだとしても、ここまで白い肌を見たのは初めてだったからな」
「―――それでも加減はあるかと思います。貴方のは限度を超えている」
「そうか? 誰にしても日常とはかけ離れた風景を目にすれば、思わず目を向けるものだが」
「―――それは健常者の余裕です。これからはそういう目を向けるのは人として恥を知るべきです」
「肝に銘じよう」
 さて。
「参拝客ならここをまっすぐ行けば賽銭箱はある。そうでないなら、何の用だ」
 云わずとも、彼女の目的は後者だ。果たして用があるのはこの霊的なものに縛られた土地なのか、それとも。
 その科白に静かに滑らかに、彼女は白銀の髪を梳いた。
「―――彼方遙さんを呼んでください。いえ、貴方がいたことも好都合なのですが彼女にも聞いて欲しいのです。今樫一八さん。貴方にも関係し、触れなければならない世界の出来事」



 2.


 オレが呼ぶこともなく遙がその場にやってきたのは、ものの数分のことだった。
 遙は彼女を見るなり、驚いた声を上げたり、思わず二人で飛び上がったりと舞い上がっていた。
 ここまで喜ぶ遙をあまり見たことがなかったオレは、少し妬気を放っていたかもしれない。遙がオレを振り返るなり頭を何度も下げたりして謝っていた。
「紹介しますね。この子は白瀧姫さん。私の中学時代の友人です。―――白瀧さん、こちらは今樫一八くん。えっと」
「―――――」
 燐と風に流され響く声はこう告げている。
 説明不要です、遙さん。貴方の伴侶ですね、と。
「は、ははははははんッ!」
 ちなみに笑っているのではない。いや、笑っていたら気色悪いだろ、この場合。
 遙の顔は紅潮し、壊れた機械の如く肩やら体やらが震えている。まあ伴侶などと言われれば誰もが言いすぎだと思うだろう。しかし、遙の場合、例え恋人と言われようがこの状態になる。もう既に初心や純粋や愚鈍などという問題ではないのだ。
 嘆息。どうしてオレの恋人さまはこうも簡単に歯車がずれるのか。
 お蔭で疑心とか不信感とかが一気に沈静化してしまった。果たしてそれがいいのかわるいのか。
「遙、落ち着け。恋人の条件」
「『震えず、恐れず、前を見、てめぇの生き様見せてやれ』」
「……そろそろ、慣れる体質になってろ。いつもオレが傍にいると思うな」
「は、はい……」
 ぐしゃぐしゃと遙の髪を撫でることで、この場は終わり。髪の下で「ふわぁ」などと聞こえたが一切無視。先へ促そう。話が始まりもしないし、終わりもしない。
 オレらの妙なやり取りに少女――白瀧姫(しらたき・ひめ)はやはり達観した目で見ていた。
 なにか、心の中で納得しているのだろう。どう解釈したかは知らないが。
「―――犬プレイ」
「その解釈を今すぐ改めろ」
 まったくベクトルが違う解釈だった。
 コイツも、さらりとエロ単語を発する橋凪タイプか。つか、どこをどうやったらそうなる。これならまだ耳障りで目障りな橋凪の方が、処理しやすくていい。
 首を左右に傾げて、不思議がっている遙を余所に、白瀧は溜息をつくと日傘をくるりと回転させた。
 ふと思ったのだが、いつまで屋外にいるんだ。いくら日傘を差しているからといって、体に支障が出るだろう。
 だが、白瀧はまったくそれを気にする素振りを見せない。……まさか、アルビノじゃない別系統の病気だっていうのか。ありえない話ではないが、それにしても異常に白い肌には太陽光は有害ではないのか。
 そんな心配を更に余所に、話は進もうとしていた。
「あの、それで白瀧さんはどうして?」
 そう云うと、日傘の回転はぴたりと止まる。
「―――学園祭」
「は?」
「―――来週開催する学園祭のお誘いです」
 待て。
 待て待て待てっ!
「……なんで夏休みの間に学園祭があるんだ」
「―――学園側のことなので生徒側の私にはわかりません」
 ありえない。ありえない。普通、一学期か二学期の間にするもんだろ、それは。なんでわざわざ貴重な夏休みを潰してまで学園祭の準備や本番を迎えねばならないんだ。どこだ。どこの学校だ、そこは。
「確か、白瀧さんの学校は、倖代学園でしたっけ」
 倖代学園。ああ、確か昔は『お嬢様学校』と名の高かった学校か。地域の資産家や各界の重鎮の娘が、進んで入学したことでちょいとばかり有名になったところだ。幼稚部から大学部まである一貫校でありながら、外部からの転入者が後を絶たないのは果たしてどこに惹かれるのかと、毎度首を傾げるばかりだ。もちろんオレが男で、女の感情がわからないだけだろうが。
 だが、たとえ『お嬢様学校』倖代学園でも、何が目的でこの時期にするのか。なにかお嬢様であるがゆえに、女学校であるがゆえに理由があるのか。
 白瀧は首肯すると、服のポケットから横長の紙切れが二枚ほど出てきた。
「―――招待状です。これがないと来客者として迎えられないのです」
 さすが『お嬢様学校』。あくまで生徒の関係者のみを入れ、不審者や男を近づけさせないための対策か。
「―――とりあえず何枚か持ってきました。所望する枚数を教えてくだされば量産しますが」
 ……………………。
 ………………。
 …………。
「ダメだろ、それは」
「偽造ですよ」
「―――精密ですから」
「だからダメだ」
「捏造ですよ」
 訂正。対策云々意味ねぇよ。
 表情の変化はなかったが、渋々といった感じで白瀧は納得すると、とりあえず二枚をオレらに渡した。
 薄っぺらい横長の黄色い紙には『第五十九回 私立倖代学園学園祭 〜少女よ、大使を抱け〜』とプリントされていた。てか誤字。もういっちょ。誤字。これじゃあ『たいしをだけ』に読めてしまう。どこの大使を誘惑する気だ。
「―――誤字じゃないですよ、念のため」
 本気だったらしい。
「―――どうやら外国大使を抱くくらいの勢いでおもてなしをしろ、とのことで。憂いを帯びた瞳、しなやかな肢体、魅惑の遊戯などなど羽目を外すくらいの行儀と社会奉仕を目的にしているようで」
「や、やはり倖代学園の生徒さんは考えることが違うのですね……」
「そんなのが現代日本の学校方針で許されるわけがないだろうが」
 風俗嬢養成所か、そこは。
 本気で橋凪よりタチ悪ぃ。
「で、遙はともかくなんでオレまで呼ぶ。初対面で無関係。単なる友人である彼方遙の恋人というだけで誘うにはお前には弱い理由付けだろ。聞きたいことはあるが、まずそれを訊こう」
 本当はオレの名前を知っていることを訊きたかったが、ここで騒動を起こしたくなかった。その答えが例え「遙さんに話を伺っていた」にせよ、話の腰を折るのはオレの役目ではない。傍観者は傍から観る者。世界を静観し、時世を俯瞰する。雰囲気を崩すのは相手側が原則であり、自ら頓挫することはない。時の流れに身を任せ、水のように科白を吐く。それがオレが人間関係を穏便に保つための方法。
 白瀧は嗤った、と思う。相変わらず日傘をくるくると廻しながら。
 にこりともせず。
 にやりともせず。
 廻している。
「―――言ったでしょう。貴方にも関係し、触れなければならない世界の話なんです。御伽噺などではなく、幻想物語ではなく、日常と非日常に満ち溢れた現在此処においての話です」
「遠い言い回しはやめろ。お前のような哲学めいた科白を吐くヤツは苛々する」
 あの友人も、あの生徒会長も、あの探偵も、あの親父も、あの外人も、あいつもあいつもあいつもあいつも―――何が何でもオレに哲学倫理を用いて打破しようとしてくる。
 更正をお望みか。それとも謎かけか。
 先生。助けてください。みんながいじめます。いじめ、かっこわるい。
「―――それでは簡単に。貴方に相談したい人が学園内にいるのです」
「えぇっ。あの、ひとやくんに、ですか?」
 遙が驚くのも当たり前だ。なにせ、お偉方の息女が通っている学校。縁遠いにも程があるオレに相談などありえるはずがない。オレの名前など、歴史の一片にも人々の口草にも載ることがない一兵卒もいいところ。何故。そのオレが、探偵などみたいに依頼されなければならない。
 オレの気配を感じてだろう、日傘の回転を止め、その白くて細い腕を伸ばし、指をオレの口元へ持っていく。
 ひやっ、と口の周りに冷気を感じる。違う。これはそう認識してしまうほどに白瀧の手元がか細いのだ。夏なのに。まるで、雪女に出会ったかのような錯覚。
 否。彼女の名前の韻を踏んで、こう名づけるべきか。
 氷女―――ひめ、と。
 その冷えた空気を察したのか、今まで煩かったセミの声がぴたりと止まった。
「誰だ、そいつは。目的はなんだ」
 そこで初めて、彼女は――白瀧姫は口元を緩めて笑った。
 明るく、朗らかに、優しく、いとおしく、快く、心地よく、爛々と、軽やかに、滑らかに、爽やかに、にこやかに。
 そして冷たく微笑んだ。


「―――建前は学園祭の豪遊。本音は学園七不思議の事実解明。相談者は抄砂沙紗(しょうさ・さしゃ)」


 告げたと同時、セミの声が、堰を切ったかのように一斉に鳴り響き始めた。








    


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