イマイチをゆけ!



 3.


 抄砂沙紗(しょうさ・さしゃ)。
 普通の考えなら誰もが付けたがらない名前だが、彼女は彼女でこの名前を気に入っているらしい。理由は舌を噛む瞬間が間近で毎回見れるからというサディストな意見だった。性格はその通り、サディスト。人の苦しむ顔が三度のメシより大好き。前に会ったときは彼女が女子大生の頃で、真剣な顔で「風俗嬢になっちゃおっかなぁ。もち、SMの」と言っていたのを中1だったオレの記憶のそりゃもう片隅の片隅に残っている。二度と思い出したくなかったが。そんな彼女が―――
「……まさか倖代学園の保険医になっているとはな」
「たっはー! これまた青い春を謳歌していた頃の夢をよく覚えてたねぇ。それほど若い、あのうら若き少年の心にはSMなんて刺激が強すぎたかなぁ」
 あははっ、と頭を掻きながら豪快に笑う抄砂。
 場所は倖代学園から程近いファミレス。オレはどうしても学園祭前に顔を合わせたくて、親父から彼女の連絡先を聞き出して、食後の今に至る。隣にニナがいるのはついででしかない。
「お兄ちゃん。えすえむってなに?」
「お。とうとうニナちゃんも興味を持つときがきたかなぁ? いいよ、お姉さんが教えてあげるよ? 今から覚えておけば将来男を手玉に出来ると思うから重宝するよぉ。まあ私はS専門だから今度M嬢呼んでこよっか」
 抄砂の言葉に、更に首を傾げるニナ。当たり前だ。いくら性に対して情報規制が緩くなったとは云え、純粋無垢のニナにはSだのMだのはよくわかっていない。むしろ一生わかってほしくないのだが。
「嬉々してオレの妹を悪への道へ引き込むな、抄砂沙紗。ニナ、こいつから誘いを受けても引き受けるな。あと今日からあからさまに話しかけてくる見ず知らずの人間には気をつけろ。男も女も」
「ひっどーい。私、悪者じゃないのにぃ。それに一八君の方が悪者だよぉ。私の名前をさらりと答えちゃうんだもん。面白味なくしちゃうー」
 ぶんぶんと腕を上下に振って抗議する今年29歳。まだ子供の気分でいるつもりなのか。可愛く振舞って許せるのはせいぜい20歳までだ。もう9年も無駄に生きているんだからそれぐらい気付けばいいものの。そして面白味などなくて結構だ。
「はぁ。やっぱり保健室で痛々しい顔をしてやってくる生徒たちを見ていた方が幾分か安らぐよ。そうだ、知ってる? 生理ってね、重い子と軽い子がいてね。そりゃもう重い子なんて……あ、ニナちゃんは重いほう?」
「えっと……か、かるいです」
「ちぇー。兄妹揃ってつまらなーい」
「くだらない会話していると帰るぞ」
 呼び出したのオレだけど。
 そう言うと、はいはい、と妙にあっさりした答えで煙草に火をつけ始めた。最初に抄砂が喫煙席を指定したのだから、煙草を吸うのは確かだが、他校生とは云え、学生の前で煙草を吹かす保険医もどうかと思う。仮にも保健体育担当みたいなもんだろ。健康には気を使え。
「で、何用よ。これでもいろいろあるんだけどなぁ」
「大した用でもないだろ」
 本当に忙しいなら、オレみたいな一般生徒との会合なんて付き合わなければいい。別に学園祭当日でも会えることは会えるのだ。さすがのオレでも人のスケジュールを崩すほど、冷徹なヤツじゃない。
 ニナがジュースをストローで啜る音が隣で鳴りながら、オレはまず溜息をついた。
「なんでオレだ」
 そう。何はともあれそれだ。何故オレが呼ばれなければならない。何故オレが学園七不思議なんぞの真相を暴かなければならない。何故オレがコイツに依頼されなきゃならない。既に抄砂との付き合いは数年前に途切れているはずなのだ。断絶の数年間。その間に何があったかなんて、コイツは知らないはずなのだ。
 煙草を一服。
「貴方だからよ。今樫一八。付き合いなんてなくても、どこかに内通者がいれば情報はいくらでも引き出せるのよぉ。特に高校生になってから『何かしら関わった事件』については、ねぇ」
 内通者。
 誰だ。
 少なくともオレは目に見える形で関わったことはない。誰かを探偵役に仕立て上げたりはしたが、みずから正体を明かして大勢の前で犯人を指摘したことなど一度もない。傍観者。傍観に徹しているオレが誰かに『事件』に監視されているなど―――。
「そこまで深く考えなくてもいいのよ、そんなことは。私は依頼者。貴方は実行者。もちろん、それ相応の報酬はするつもり。はい、相互関係は安泰。対立なんて御免こうむりますぅ」
「質問に答えろ、抄砂沙紗。オレがなぜ、学園祭に呼ばれ、挙句の果てに七不思議を解決しなけばならないんだ。そもそも七不思議とはなんだ。巷に溢れているような、人体模型が動くだの夜中にピアノが鳴り響くだのじゃなかろうな。そんな摩訶不思議なことはどこぞの妖怪に手紙を出すか、どこぞの地獄先生にでも頼んで来い」
「……ふふっ。知らない間におしゃべりが出来るようになったのね、一八君」
「誰かさんが煮え切らない返答をするからだ。オレも無駄に酸素を消費したくはない。明確な解答を出してくれれば、素直に口を閉じる」
 妖艶な微笑を浮かべ、まだ半分も残っている煙草を灰皿に押し付ける。煙が立ち昇り、そして霧散する。
 時間は終わりだ、と煙が告げる。
 彼女は紺色のコートを肩にし、席を立つ。立ち上がってみると改めて彼女が大学生時代より成長したことがよくわかる。立ち振る舞いは若干幼さが残っているものの、どことなく雰囲気がそう見えた。
 朱色に染められた髪がそうさせるのかもしれないし、太腿を押し込むタイトなスカートがそうさせるのかもしれない。整い終えた顔がそうさせるのかもしれないし、耳に飾られた幾何学模様のイヤリングがそうさせるのかもしれない。
 途端、抄砂の瞼がスッと閉じていき、オレと視線を絡ませてくる。これだ。これがあのときとは異なる。世界中の苦痛を味わい、一切の光を拒絶するかのような瞳は幾度と顔を付き合わせた記憶のどこにも組み込まれていない。
「けど、私は知らない。さしずめ私はヤコブの階段の一段に過ぎなく、導くための踏み台でしかない。踏み台が喋っちゃ気味が悪いでしょ? さぁて、キミは神の声を聞くことが出来るかなぁ?」
 ヤコブの階段。旧約聖書か。
「ヤコブは人間が繁栄する土地を捜し求めていたんだろ? オレにはそんな大役を担う人間じゃない」
「楽しそうに聞こえるけどぉ。言ってしまえば、人間最後の希望でしょ。救世主じゃない」
「……簡単に言ってくれる」
「他人事だし。じゃ、帰るわ」
 どうやら奢ってくれるらしく、伝票を摘み上げるとレジの方へ歩き出してしまう。
 いや、待て。オレが呼んだんだからオレが払うのが筋だろ。
 制止しようと手を差し出すが、彼女は「奢られなさい」という目でこちらを睨みつけてきた。まあ学生身分のオレにとれば嬉しいことこの上ないんだが。金欠だし。
「とりあえず詳細は学園祭当日で。みんな揃っていた方が何かと面倒じゃなくていいでしょ」
 既に引き受けること決定されているし。更に引きとめようとするのを今度は「あっ」という言葉が遮った。
 今度はなんだ。あんな大声を上げては客の迷惑になるだろうが。そのようなオレの心配を他所に、振り返るなり、意味深な含み笑いをしてきやがって。だから年齢を考えろって。
「そういえば、一八君。恋人がいるんだってねぇ。お姉さん、驚いちゃったよぉ」
 すっかり先程までの空気とは異なる、子供っぽい表情になっている。目つきも昔のイタズラっぽさが戻っている。つまりこの科白は単なる興味本位ということになる……が、なんだそれは。
 まさか遙のことまで情報を手に入れているというのか。もうここまでくるとプライバシーの問題だぞ。
 訴えていいですか。
「しかも巫女さんなんだってねぇ。もうっ、SMじゃなくてコスプレ好きだったのねぇ」
「待て。完全にそれは誤解しているだろ」
 いつの間にオレはコスプレ好きになっている。
「ねえ、お兄ちゃん。こすぷれって」
「お前が親父によくやらされているヤツだ」
 そして即刻やめてもらいたいヤツだ。そりゃもう世界を改変してでも。
 まったくその度に拳と足の甲を痛めるオレのことを考えてくれ。このとき、親父のことはまず頭にはない。すぐ痛みや傷が回復する地球外生物のことなんて心配する方が間違っている。そして今、思い出すのも時間の無駄。
 重要なのは遙のことが話題になり、オレの趣味嗜好が疑われているということだ。
「ともかく、オレは巫女だから彼女を好きになったんじゃない。『彼方遙』という少女だからこそ惚れたんだ」
 でなければ、交際が1年も続くわけがない。表面上の愛情なんて、何回も見ていれば飽きが必ずやって来る。
 顔が命、勝手に言ってろ。それで長続きしていたら土下座して謝ってやろう。
 中身すら知りもせず、ただ等身大の相手を見ているだけの愚行。
 それでは、人形相手に恋しているようなもんだ。考えろ。理解しろ。人間はそういうもんだろうが。
「うわっ、ノロケ。ノロケがでましたよ奥様。たはー、参ったねこりゃぁ。ま、当日会えるわけだし、どんな子か楽しみだねぇ」
 当日は出来るだけ遙から離れないようにしよう。
「いいから帰るなら帰れ。奢られてやるから」
「はいはい。それじゃ、一八君、ニナちゃん。また学園祭でぇ」
 会計を済ますと、こちらに軽く手を振って去る。ニナは返したようだが、オレはまったく返す気など起こらなかった。ったく、最後の最後まで場を荒らしていきやがって。絶対次も荒れるな。耳障り要素も増えることだし。耳栓でも用意しておいた方がいいだろうか。
「―――どいつもこいつも何考えていやがるんだか」
「お兄ちゃん」
 えへへ、と年相応の柔らかな笑みを浮かべる。
 そうだ、この年齢なら子供らしくてもいい。無邪気で何も悩みがなさそうで人生を楽しんでいる。
 まだ階段の途中。まだ社会を知らない赤子同然。まだ余裕はあるのだ。
 妹よ、どうか強く生きてくれ。
「どした」
「ホットケーキ頼んでいい?」
「……勝手にしろ」
 金欠でもデザートくらいの金は持ち合わせている。せっかくなので、オレもマンゴープリンを注文した。
 注文し終えた途端、ファミレスのベルが鳴らされ、妙に慌てた足音を奏でながらこちらへやってくる気配がしたため、そちらを一瞥すると抄砂が肩を上下に揺らしながらこちらを覗きこんでいた。
「忘れるところだった」
 コートの内ポケットから取り出したのは、一枚のメモ用紙のようだった。折り畳まれた紙を開くと、オレの眼前に突きつけてきた。見えないって。
「案内は姫ちゃんに任せているけど、あの子、たまに忘れっぽいから。念のために保健室までの道順と私のタイムスケジュールをメモしたの渡しておくよぉ。いつ誰が来るかわからないから変動ありだけど」
 それをニナに渡すと(どうやらオレは信用ないと思われたらしい。まあ行くとも言ってないしな)、教師ぶりたいのか、人差し指をひとつ立てると今度はワインレッドのシャツのポケットから一枚の紙を取り出した。わざわざあんな薄い物を別の場所に仕舞っておく理由が見当たらないのだが、気分を害さないために黙っておいた。
 そしてまたオレの眼前へ。
「で、これがさっき訊いてきた七不思議の概要。なんか年々改訂が行われているみたいで、果たしてこれが現在のものなのかは微妙だけど内容は似たり寄ったり。確かに見たことがあるようなのも含まれているけど、これがまた面白いんだぁ。ま、あとで見といてぇ。はい、これで質問終わりっ」
 勝手に終わらせやがった。言いたいことも言わせない。自分のことしか考えておらず、他人のことなんて知ったこっちゃない。ああ、確かにコイツは変わってない。結局コイツはコイツだったんだ、と。
「ではっ、今度こそ帰るねぇ」
 そう言うと颯爽と帰っていくのだが……かっこわるいことこの上ないよな。あれだけ決めて帰ってきたのに、また舞い戻ってくるんだから。それでも優しく手を振って別れを告げるニナには、何か違う物が備わっているんじゃないかと思ってしまう。いや、自然に出た行動なんだろうけれど。
「元気だねー……」
「そうだな……」
 さて、ホットケーキもマンゴープリンも来たことだし。
「いただきまーす」
「お前、何か食うたびにそれだな」
 ニナは食事をするときは一品を片付けてから次の品に入るという妙な食べ方をしている。加えて、その一品一品を食べる際には必ず挨拶をする。例えばハンバーグを食べる前に「いただきまーす」。食。スープを啜る前に「いただきまーす」。食。ライス食べる前に「いただきまーす」。食。食材の元になった動物や植物たちにはありがたいだろうが、隣でそうされるには少しばかり恥ずかしいものがある。
 ほのぼのとしているにはいいんだけどな、とマンゴープリンに手をかけようとしたとき。
「…………じー」
 ニナだった。
 プラスチックのナイフをホットケーキに突き刺したまま、彼女はジッとこちらを見ている。
 視線の先は今まさに食べようとしていたマンゴープリン。
「…………じー」
 オレが視線を向けているのにも関わらず、彼女のもっぱらの興味はマンゴーに注がれている。
 惹かれやすい性格だとは思っていたが、まさか目の前に好物があってもそれは関係ないのか。いつか、損な役回りをしそうな気がする。あくまでも予想だが。
 それにしても擬声語を声に出す必要はあるのだろうか。ない。反語で、ない。
「…………じー」
「食べるか?」
 向けられる視線に耐えられず、溜息交じりに尋ねると最初は罰が悪そうにしていたが、欲求を抑えきれなかったのだろう、首を何度も縦に振って答える。
「あー……」
 いや待て。口を開けるか、そこで。
 甘えるのもいい加減にしてもらいたい。手に持っているナイフを置けばいいだろうが。うわ、なんか全方向あらゆる方面から視線感じるし。
 しかし、ずっと開けさせておくのもきついだろうから、仕方なしにその口に放り込む。甘いとか言うな。
「ん」
 もごもごと口の中で堪能した後、嚥下。
 どうやら気に入ったようで、雛鳥の様に口を開いて催促してくる。更に視線が強くなった気がするが一心不乱に獲物を喰らう虎の如く無視に徹する。そうでもしないと眼力だけで死にかねない。
 満喫したときには一体どれくらい残っているだろうな、と違うことを問題提起し、スプーンですくっていると

 ―――視界の端でナニか居た。

 出来るだけ冷静を保ちつつ即座に振り向く。
 そこには呆れた顔をして肩を落としている、白と黒のコントラストで全身を包み込んでいる女が不審な目でこちらを見ていた。風が強いのか、薄茶色に靡く髪を押さえながら。
 喜美野希。中学時代から姐御と男女問わず慕われている、唯一にして無二の悪友。
 見られた、か。よりによってコイツに。
 どこからどこまでか知らないが、見られたからには無視は出来ない。
「あ、希お姉ちゃんだ」
 ニナもそれに気付く。なかなかマンゴーがやってこないのにおかしく思ったのだろう。ニナが手を振ると向こうも手を振って返す。そのときは柔和な笑顔を浮かべていたのだが、オレと目を合わせるとその表情は急変し、窓越しに口を動かして何かを言ってくる。『そこじゃあ落ち着かないから、とりあえず外へ出ろ』? なんともまあ自堕落な。オレはともかく、ニナは一欠片もホットケーキ食ってないんだぞ。そのときの顔を想像してみろと口パクだけで伝えると『ニナが食べる終わるのだけは待つ』と答えた。相変わらず、ニナだけには甘いお姉さまなのだった。




 4.


 無事お互いの食事を終え、デザート分のみの会計を済ませ、ファミレスの外へ出ると冷房なんぞいらないのではないかというほどの絶対零度の瞳でこちらにガンを向けてくる喜美野希の姿があった。いや、こちらというよりもオレに焦点を絞ってやがる。恨まれることしたか。
 その目つきに気がつかないのか、会心の笑みを浮かべて喜美野に抱きつく我が妹。考えれば、ニナが喜美野に会うのも久しぶりか。何かと因縁もあるし、お互い家に入れるのは避け続けているからな。今までの鬱憤がニナの抱擁に含まれているのだろう。その抱擁の嬉しさをこちらに向けてほしいのだが、喜美野はそうもいかないらしい。
「……誰だ、あれ」
 訝しげに問う。
 ここで惚けても、更に眼光がきつくなるだけなので単刀直入に答えることにする。
「オレの従姉だ。抄砂沙紗。倖代学園保健室勤務」
「は? しょうしゃしゃしゃ? なんだか舌噛みそうな名前だな。まあ覚えていても損しそうな名前だから私の脳にはいれておかないよ。もともと小さいし。で、ワン。その倖代学園の保健医がどうして己のところに来る」
「それは歩きながら話す。ここで立っていても目立つだけだ」
「ん、それはそうだな。近くのサ店でも入るか」
 サ店って久しぶりに聞いたな。でも、確かに立っているかは座っているほうがこちらとしても落ち着く。こいつと喋っているとどうも長話になりそうだから、ちょうどいいかもしれない。
 ニナだけでも帰そうと思ったのだが、本人と喜美野の希望、時間帯からして一人で帰宅するのも危険ということで一緒に連れて行くことにした。いつの間にか喫茶店探しはオレが任命されており、歩幅3歩分離れてニナと喜美野が久しぶりの談笑に花を咲かせていた。話の内容は他愛もなく、再開までの間を埋めるかのような内容。陳腐なまでにありふれた内容だった、はずだった。
「ねえねえ、希お姉ちゃん」
「ん?」
「えすえむってなに?」
「………………」
 こっちを睨むな喜美野。オレじゃない。オレのせいじゃない。
 ともあれ、近場であり、オレと喜美野にはお馴染みの喫茶店に入る。何せ、この喜美野希という女は人一倍喫茶店にはこだわりがあるらしく雰囲気もそうだが、紅茶一杯、苺の新鮮味、挙句に店内のBGMにまで気をかけるほどだ。まだ完全に納得はしていないものの、現段階において喜美野希がお気に入りの喫茶店はここ一軒しかない。店の名前は『アウトサイダー』。まさしく喜美野にうってつけと言える。
 空いた席に座り、軽く注文をすると、喜美野は乗り出すように本題に入るよう促す。
 ここまで来たら諦めるしかほかにない。
 溜息を吐く。
「学園祭を謳歌しつつ倖代学園に蔓延する七不思議について解明せよ、だと」
「前半はいいとして、後半は気になるな。七不思議ってアレだろ? モナリザが血の涙を流すだの、人体模型が廊下を走り回るだの」
「他にもプールの底から足を引っ張られるや、ピアノが勝手に奏でられるとかだな。まあ、そんな生易しいものじゃないらしいんだが」
「だろうな。そもそも『七不思議』なんて非常識で不確定なものを調査しろってどういうこった。こちとら怪奇ナンタラじゃないぞ」
 また懐かしいものを。
「お兄ちゃん。沙紗姉から七不思議についての紙をもらったんじゃなかったっけ?」
「そうだな。そういえば、アイツ、妙なこと言ってたな」
 年々改訂しているとか。どういう意味だ。改訂する怪談なんて聞いたことないぞ。
「考えるのは後だろ。見るだけならタダだ。あたしも見せてもらうよ」
 どうせ断っても見るつもりなのだから、最初から断るつもりはない。
 とりあえず、学園祭に行くか行かないかはこの際放っておく。単なる好奇心。他校に流れている七不思議がどれほどのものかを確かめるための閲覧。別にこれを見たからといって、抄砂沙紗の依頼を受けたわけではない。そう、自分に言いつける。
 ニナからその内容について書いてある紙を受け取ると、テーブルの中心に置き、覗き込むようにして三人が固まる。
 以下、抜粋。


私立倖代学園七不思議

 一、
 近づくなかれ。近づくなかれ。
 水が数多溢れる土地を丑三つ時に訪れるなかれ。赤子の喚声が耳朶に響く。
 其即ち嬰児ですら非ず。この世に生を授けられなかった赤子の泣声。
 近づくなかれ。近づくなかれ。
 赤子は母を求めて泣き叫ぶ。
 もし近づこうものならば、
 女で在らざる者は捕って喰われ、女で在る者は抱き憑かれる。
 近づくなかれ。近づくなかれ。

 二、
 耳を塞げ。耳を塞げ。
 其は冥府よりの子守唄なり。
 許されぬ想いと叶えられぬ願いを積み重ねた女の念。
 その怨、非常に重し。
 其を耳にする者あらば、五感に狂気を重ねられる。
 耳を塞げ。耳を塞げ。

 三、
 紅き階段に気づくなかれ。
 丑三つ時より生まれ出る紅き階段に気づくなかれ。
 生なる者より流れる朱に絡みとらるることあらば、蛭の如く毟られる。
 上へ昇る者よ、地を見るなかれ。
 下へ降る者よ、天を見るなかれ。
 其は一より始まっている。

 四、
 音は常世からの調べ。文は常世からの招き。
 針が真上を差す刻に文面が届く。
 其を見るなかれ。
 文面の内容に限らず、其を見るなかれ。
 彷徨える者からの文面は、見た者に興味を抱く。
 其、即ち契約と為す。
 破棄せよ。
 来る。
 彼らが来る。

 五、
 独りで篭ることなかれ。
 篭は彼方へ送るもの。
 汝、応じるなかれ。
 地底より呼ぶ声に応じるなかれ。
 誰何を問う声に応じるなかれ。
 応ずれば、地に引き摺られ、裂くの事。
 篭は彼方へ送るもの。
 独りで篭ることなかれ。

 六、
 甘美な香に誘われることなかれ。
 酔狂な薫に惑わされることなかれ。
 甘美と酔狂は似て非なる。
 吸い寄せらるることあらば、人は人でいられることなし。
 見よ、その地にあるものを。
 甘美な香に包まれているものを。
 酔狂な薫に縛られているものを。
 嗚呼、無惨也。
 見知った者の肉が、そこに、おる。

 七、
 ――――――――。



「都市伝説があるんだが、これについてはどう説明したらいいんだ? ワン」
「第一声がそれか」
 オレも疑問視したけどな。
 いや、それを省いたとしても、この怪談には不可思議な点が多すぎる。
 最後の辺りは若干濁してはいるものの、全編に渡って現代に通じるものが題材としてあげられている。嬰児ですらない子供、すなわち中絶。叶えられない想いとやらは年齢差や身分差というものだろう。喜美野が都市伝説と言った内容は明らかに携帯のメール機能に関しての記述だろう。
 なるほど。改訂とはつまり、現代風アレンジといったわけか。
 だが、果たしてそれを行う理由は何か。七不思議なんぞ、覚えていても役に立つことなど皆無に近い。昨今は七不思議にすら関心を寄せないほどに娯楽は世の中に溢れている。文化の発展が、都市伝説と呼ばれるものを生み出したというのにも関わらず、ここで敢えて原点回帰と叫ぶかのように現代版アレンジ七不思議を打ち出すには理由があるはずだ。
 ここで単なる気まぐれ、ならばそれで終わりなのだが。
「何故、こんなものを解明しなければならないか、ってことか」
 正解だ。
「七不思議というものは本来、人間の心の隅にある恐怖心を煽るものだ。不特定多数の人間が作り上げた不確定な妄想話をどう解明しろというんだ」
「ん〜。沙紗姉が言ったように、ただ単に楽しんで欲しいだけじゃないのかな?」
「その程度のものを抄砂沙紗が望むわけがない」
 オレのことを調べつくしている彼女が、「娯楽」だけのために呼びつけるはずがない。
 裏がある。必ず裏がある。賭けてもいい。言い値で支払ってやる。
 そんな危ない橋をオレが渡るはずがない。石橋を叩いて渡り、端を渡る勇気なんてこれっぽっちも持ち合わせちゃいない安全志向のオレにこの依頼を受けろというか。冗談じゃない。挑発は乗った方が負けだ。
 『己を過信するな。まず己の力量を知れ』
 わかっている。
 これは関わってはいけない。
 泥沼に足を踏み入れることになるぞ。
「だが」
 そこに白瀧姫が立ち塞がる。
 あの氷のように冷たく、物事を楽観も悲観もしない人形のような人間は彼方遙にとってかけがえのない友人の一人なのだ。
 申し出を断るのは簡単だ。そもそも口頭での依頼など、口約束の部類でしかなく、無形のものに確実性はないので破ったとしても罪悪感は残らない。無言で去れば、この程度は容易に避けられる。
 だが、やはりそこには白瀧姫が立ち塞がる。
 いや、厳密に言えば彼方遙なのか。
 ……くそっ、余計な手回ししやがって。
 オレが黙りこくってしまったせいだろう。ニナは不安げにこちらを覗きこんでいる。こいつも散々な目にあっているので、オレの表情からある程度察しているのだろう。対する喜美野は既に慣れている様子で、先程届いたブラックコーヒーにこんもりと砂糖を入れて優雅を気取って飲んでいた。いや、人の心配ぐらいはしろよ。
 喜美野は溜息を吐くと、ダルそうに椅子にもたれ掛かる。
「あー、ワン。己がそこまでして悩む理由はある程度理解できるが、そこまでして悩むんなら、いっそ受けちまえばいいだろうが」
「簡単に言うな」
「言うよ。あたしには無関係っぽいしな。第一、己のその姿を見るだけであたしはイライラするんだよ。なんだよ、前なんて誰に被害が及ぼうとも平気で無視し続けてきた己が遙に関しては頭を捻るってーのが気に入らない。弱点バレバレじゃないか。言ってやる。マヌケ。もっと罵って欲しいなら、最上級のもてなしでやる。だから、ウジウジすんな。するなら最初からそんなヤツに会わなきゃよかったんだ。わかってるんだろ? これは受けざるを得ないって。だからヤツに電話もして、アポイントメントもとった。己は無駄なことを考えるが、無駄なことを行わない。ぜーんぶわかってんだよな。だったら考えるなっつーの」
「珍しいな、お前がそんな長台詞を喋るなんて」
「……そう思うなら、喋らすなっての。お陰で喉が渇く」
「だろうな」
 そもそもお前はそんなに喋るようなキャラじゃないし。
「まぁ、喜美野が言うことはよくわかったし、お前が考えていることは大当たりだ。だが、微妙に違うな」
「―――ほう?」
 面白そうな笑みを浮かべる喜美野。
「聞こうじゃないか。己が、何を考えているのか」
「簡単だろ」
 オレの弱点が彼方遙ならば。
 オレの弱点を見抜いたのが内通者ならば。
 オレの弱点を把握していたのが抄砂沙紗ならば。
 そう、オレは彼方遙を楯にされたから行くのではない。
 ここまで虚仮にされておきながら、黙っているだけではないことを証明するために行くのだ。
「オレの痛い所を突いたヤツらに、逆に痛い所を突いてやるのさ」
 やられたら、やりかえすってこった。
 喜美野は喉を鳴らして「姑息だが、己らしい」と笑い、ニナは肩を落としながらも微笑んでいた。
「あはは。それにしても幽霊調査って、ゴーストバスターズかね。これは」
「ゴーストスイーパーかもね」
 どっちでもいい。
 とにかく、ここからはこちらのターン。カードも揃えば、攻撃も出来る。
 内通者がどれほど調べたか知らないが、所詮それは数日前のオレだ。
 人間は成長する。
 去年の自分より今年の自分。
 昨日の自分より今日の自分。
 微かに、でも確実に成長しているのだ。目に見えなくとも。
 見落としている。抄砂沙紗は見落としている。
 目に見えるものだけを信じているから、見落とす。
 だから、気づかない。
 気づきようがない。
 気づきたくない。
「オレがいつまでも、子供のままだと思うなよ。抄砂沙紗」


 ―――あの時のオレが、更に成長を続けているなど。








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