イマイチをゆけ!



 7.

 実際、生徒会室は密室というものではない。推理小説でいわれている監禁の状態ではなかったのだ。 窓は開いていたし、扉もスライド型で鍵も閉まっていなかった。これはオレが事件当日で現場を見たことから明らかだ。
 つまるところ、殺人事件とはそういうもので、どこかが綻び、どこかが緩んでいる。人間は最後の最後でミスをしているものだ。
 今回の事件もそう。犯人と呼ばれる人物は色々見落としている。大きな、大きなミス。
 しかしそれを彼は学校という隔離された空間を利用することで外部に漏らさないようにした。そういったところは感嘆すべき点だ。
 だが、この世界には両極端というものがあるのを忘れてはいけない。
 天と地、火と水、生と死、隔離と開放。そして事件、解決。
「イマイチ先輩。事件と解決は両極端じゃないような気がするッスが」
「だからモノローグにツッコミを入れるな」
 学校の屋上。通称、いつものところでいつもの時間にオレたちは弁当箱を囲んで昼食をとっていた。
 オレは柵を背にして凭れかかっているし、橋凪は弁当箱に素早く箸を伸ばしている。遙はそれを楽しげに眺めている。
 至って普通の世界だ。
 柵からグラウンドを見下ろすと、昨日の騒ぎはどこにいったのか、男子生徒がサッカーなどをしている。
 教師側から規制がかけられているため何も出来ないことが理解できたのだろう。もしくは、自分が無力なのを知ったのか。 それがいい。わざわざ危険な道を行くものではない。平々凡々とした世界こそがあるべき姿なのだ。
 ふと、視線を感じたのでそちらに移すと、橋凪が目を輝かせてこちらの顔を見ていた。
「なんだ、物足りないのなら皿にあるもん食べていいぞ?」
 もらってから数えるほどしか口をつけていないプラスチック皿に入れられた料理を差し出す。遙には申し訳ないが、今日は食欲がない。多分、今日の朝食に何かが入っていたに違いない。そういえば今日の朝食当番は親父だ。絶対何か入っている。
 橋凪は深々と頭を下げ、「へへー」などと一昔前の庄屋のような言葉を吐きながら受け取る。
「うぃッス。これはあとでいただくッス。いやいや、そこじゃないッスよ。ほら、ほら、ほら!」
 催促するように四つん這いになって近づいてくる。あぁ、うざい。
「渚ちゃん。ひとやくんが困ってますから」
「おっと」
 そこで素早く体を上げて退く。一見、遙の忠告によるものに思えるが、遙が発する違う空気がそうさせているのを不本意だがオレと橋凪は同時に感じていた。 一瞬、髪が浮いたように見えたのも気にしないことにする。
 凛とした態度を保ちながら、遙はオレの方を見つめてくる。その視線の意味は間違いなく橋凪と同義の事柄だろう。
 肩を竦めて、更に柵に凭れかかる。屋上の柵は頑丈に出来ているため、そう簡単に壊れることはない。というか壊れたら柵の意味がない。
 二人を見るともう待ちきれない様子である。このまま焦らし続けていたらどうなるだろうかとふと思ったが、橋凪に至っては暴れかねないのでさっさと進めることにする。
「……まず、この事件は警察に任せればすぐ終わることだということを示しておく」
 これは今までオレが受けた事件全般に言えることだ。日本の警察の情報量と推理力は一般男子生徒一人を確実に軽く上回る。多勢に無勢。
「それにこれから言うことはオレの推論及び仮定だ。全て正解させるためにはその目で現場を見ていなければならない。よって8割9割が合格点と思ってもらえればいい。…………それでも、聴くか?」
 二人はその言葉に退くこともなく、同時に頷くだけだ。その目つきもいつしか真剣みを帯びている。
 本当なら、彼女らは巻き込みたくない事件だ。何故ならこの事件は御酉那乃羽からの『挑戦状』だったわけで、元々彼女らには関係のない、枠外のことなのだ。オレだけが引き付けられるべきのことを彼女らをオレ自ら導いてしまった。今考えれば馬鹿なことをしたものだ。
 軽く息を吐くと、こちらの目つきもやや強めにしていく。
「この事件には一つだけ間違った見解が混じっている。それも決定的な間違いだ。オレたちは情報や現場検証だけで物事を済ませてしまったが、それ以上に根本が間違っていた」
「根本ですか?」
「そうだ。遙、お前はあの現場を見て御酉がどうやって殺されたと思った?」
「え。刃物か何かで胸を突かれたんではないんですか?」
「どこで?」
「生徒会室…………え?」
 その顔の通り。その、まさかだ。
「御酉那乃羽は生徒会室で殺されてはいない。彼女は別の場所で殺された。生徒会室に連れて来られたのは殺害後のことだ」
「そんなっ! だってひとやくんが言うには、ソファや床が血で真っ赤になっていたと」
「そこだ」
 それがそもそもの間違いだ。
「果たしてそれが“人間の”血であることを誰が証明できたんだ。誰かDNA判定やらが出来るヤツがいたか? 一目で人間の血と見分けるヤツがいたか?」
「む? それってもしかしてあれッスか?」
「そう。あれは人間じゃない。兎の血だったんだ。遙には言ってなかったが、先日飼育部の兎の墓が荒らされたらしい。死後―――3日も経っていなかったそうだ」
 この学校内には理系の人間はいれど、血液型まで研究している人間はいない。そのような者がいれば今頃教師などをやっておらず、警察の方に働きに行っているはずだ。
 警察を介入させないように隔離した空間で殺人を犯した理由の一番はこれである。
 不本意ながら今回は橋凪が役に立った。あとで兎肉でも買ってやることにするか。で、どこに売ってるんだ。あれは。
 話が逸れた。
「生物の血はほとんど例外なく赤色をしている。一般人が見ればそれが兎の血だとわからないだろう。オレたちはまんまと先入観で騙されたというわけだ」
 人は先入観や第一印象を基本にしているため、非常識なものは即座に対応できない。この場合もそこに流れているのは人間の血であるという先入観を染み込ませた、見事な心理トリックだ。だがそれに懲りすぎた。だからボロがでた。 遙は今もどういうことかと顔を顰めて悩んでいる。現状を理解するには少々時間が必要のようだ。ちなみに橋凪は考えることを放棄している。何を聴いてるんだ、お前は。
「メリットは何なんですか?」
 橋凪をシメにかかろうかと模索してると、遙が顔を顰めたまま訊いてくる。
「メリット?」
「はい。先程ウサギの血を使うと仰いましたが、そんな手間のかかることを何故するんですか? そういう風に血を偽装するのにはやはり何らかのメリットがあってこそなるものです。 しかし今回の事件には元より容疑者がわからないのです。容疑者が限られているのならともかく、このような“誰でもありうる”状況でそれを使うのは私には理解できません」
 そう、このトリックはアリバイ崩しのために使用するものだろう。
 とある館で殺人事件が起こった、容疑者は四人、犯人はこの中にいる。
 などの場合には、そのトリックは苦しいながらも自然に使用できる。
 だが今回はそうではない。
 容疑者は複数。無論、警察が介入してこないので事情聴取などはない。アリバイなんて調べるわけがないのだ。
 そんな無駄なことをしていいのか。
「別にメリットなんてその場しのぎだ。最初そう思っていただけで結果的にメリットにならなかっただけ。人間、誰もが『本当にそれでいいのか』と試行錯誤することになる。 この世に絶対はない。ならば用意周到、準備万端で望むのが計画犯罪だろう。心配性なのか小心者なのかどうかはしらんが、犯人はそんな思考に走って兎を用意したんだろう」
 ちなみに衝動的になっていてもこれは当てはまる。
 錯乱した結果、即座に思いついた案を実行した。心配も何も考えずに実行した。これで満足だと後先考えずに実行した。
 つまり、この場合メリットなんて考える必要は全くない。
 それにもう幾度となく言っていることだが、オレは殺害方法を考えているだけだ。犯人が誰だろうが全く興味ない。聞いても「あ、そ」で終わるだろう。いや声が出るだけならまだいいか。最悪の場合、無視だしな。
「後先考えない事件なんて…………やっぱり現実はイマイチなんですね」
 推理小説でドラマ仕立ての憎悪劇に慣れている遙には、この結果はお気に召さなかったようだ。
 現実は小説よりも奇なり。
 だが所詮、そんなのはまやかしに過ぎない。現実なんてくだらなくて、つまらない。
 殺人事件などというものも、結局は警察に任せればいとも簡単に解決する単純な仕組みなのだ。
 ―――既に、何度この言葉を吐いたことか。
 溜息を吐きつつ、話を続ける。
「殺害現場は犯人の家か、校舎内で血が床に散らばっていても違和感を覚えない場所だ。殺害方法は胸を一突き、あの穴からするにナイフか包丁だな。犯行時刻は深夜と考える方が妥当だろう。―――さて、これで以上となるが何か質問はあるか?」
 これ以上に関しては情報があまりにも薄すぎる。
「むー。イマイチ先輩は嘘つきッスよ。完膚なきに解決するって言ったじゃないッスか」
 だから、情報がなさすぎなんだよ。
「完膚なき、とまでは言ってないがな。オレは8割9割あっていれば合格点と言ったまでだ。動き回ったらそれなりに確証は得られるだろうが、そこまでやる義理はないしな。面倒くさいことは早めに終わらせるに限る」
「そうですね。あまり動きすぎるとひとやくんにご迷惑をかけるかもしれませんし。それに私たちは元より“部外者”です。こういった経験を味わえただけでいいとしましょう。ね、渚ちゃん」
「ふぃ〜。なぎーはあまりこういった出来事に遭遇したくないッスけどね。それにイマイチ先輩の推理も曖昧ッスし、なんだか踏んだり蹴ったりの状態ッスよ。ま、なぎーはイマイチ先輩に涙ながらに捜査協力を懇願されたということを胸に秘めて明日も学校に通うことにするッスよー」
 泣いてねぇし。
 だが、そんな言葉も橋凪には通用しないだろう。
 もう既に事件なんて頭にないかのように、再び食事に力が入ってしまっている。気の変わりが早いという問題じゃないだろう、これは。
 所詮、そんなものだ。
 誰が何と言おうとも、心底では自分を中心に今を生きている。他人がどうなろうと構わない。自分さえ良ければどうでもいい。
 もしオレが死んだとしても、悲しむだけ悲しんで、あとは平凡な日常が続いていくだろう。
 人の死というのはそういったものでしかない。ずっとそれを悔やみ続けていくのは不可能だ。
 橋凪やニナ、喜美野もそうだろう。
 そして遙も―――――。
「ひとやくん」
 気がつくと目の前が真っ暗だった。それは自分が目を瞑っていたせいだというのに気付くのには若干時間がかかった。
 目を開け、声が聞こえてきた方向を見ると、遙が微笑んでオレの正面に座っていた。
「ご苦労様でした」
 ―――オレは誤解していたかもしれない。
 遙は。彼方遙は。
 決して、自己中心的ではなく、本心から他人中心主義であり、決して、決して。
 オレを忘れることはない。
 自意識過剰だと罵られても構わない。だが、彼女のその一言が自分を支えているのは確かだ。
 巫女であり神子である彼女。普段は冷静なのにいざとなると慌てふためく彼女。
 笑みに満ちていながら怒りを露にする少女。未だに謎が残っていて嫉妬深い少女。
 彼女を突き放していると言った者がいたが、それは間違いだ。
 何度でも言おう。

 オレはやっぱり彼方遙のことを慕っているのだ。

「遙」
「はい?」
 それを言葉にするのは、もどかしい。
 『愛している』なんて言葉もオレの口からは出ることはない。
 だけど。
「犯人に関して、御酉が面白い言葉を残していてな」
 彼女の期待に沿おうという努力は、怠るつもりはない。

「『女はいつでも恋愛事情には長けている』んだそうだ」




 8.

 教室は喧騒と雑踏に紛れている。まるで都会の群衆の中にいる思いになり、少し疎ましさを感じてくる。
 だが、このざわめきを聞くたびに自分は生きているのだと実感する。
 聴覚はもちろん視覚や触覚や嗅覚、味覚を除いた感覚が今自分がここにいることを証明している。
 あれから一日が経った。
 誰も「御酉那乃羽」「殺人」などといった単語を飛ばさないようになり、日常という名の日々に戻っている。それとしなくても現代日本には殺人事件が毎日のように行われているのだが、前よりかはその単語の使用率は極端に減っているだろう。
 結局、犯人はこの学校の教師のようだ。
 遙が慎重に慎重を重ねて調査した結果、彼の名前が浮上した。
 彼は御酉那乃羽の恋人であり、度々夜中に学校で出会う約束をしていたようだ。その後何をするかはご想像にお任せする。 また、彼は飼育部の顧問であった。ならば兎をいとも簡単に殺すことが出来、尚且つどこに埋葬したのかも理解していることだろう。
 だからどうしたというわけでもない。オレは最初から犯人に興味はなかったわけだし、その教師が突然この学校を辞めて違う学校に行こうがどうでもよかった。
 連絡をしようとの声も遙から再度上がったが、やはり却下した。学校側が必死に隠しているのをわざわざ曝け出すわけにもいかなかったし、いずれはわかってしまうことなのだから今連絡しなくてもいいだろう。
 いや、この場合はしても“意味が無かった”のか。
 放課後、遙は家で仕事が入っているらしく早々に帰ってしまった。喜美野や宙も同様。だが返って好都合である。
 楽屋裏に彼女らを連れて行くことなど到底出来ない。彼女らは言ってしまえば観客だったわけで、演劇の後は帰ってもらうだけだ。感想不要の稚拙な演劇。どうぞ日常という演劇へとお戻りください。
 鞄を持って教室を出て行く。視線の端にまたもや橋凪らしき影が映ったがやはり無視する。騒ぎ声も無視する。お前も結局観客なのだから。
 挨拶をしてくるクラスメイトに軽く返しながら、オレは目的地へと向かう。
 階段を下りず、上がる。途中の階で止まることなく更に上へ。
 屋上。オレ通称、いつものところ。
 ドアのノブを回すと軽く音が鳴ってゆっくりと開こうとする。いつもはオレと遙が屋上の合鍵(用務員のご老体が親切にも貸してくれたのを失敬して合鍵を作らせてもらった)を持っているため、それ以外の人物が入ってくることなど普通は有り得ない。
 しかし今回は特別にもオレが招待状を送ったので、事前にこのドアは開いている。
 一つ息を吐いてから押して扉を開ける。

 ―――言い忘れたことがある。

 どうやら今日は風が強いらしく、開けきった瞬間、なんともいえない音が鳴り響く。
 それを全く気にすることなく、オレは歩を進める。一歩一歩確実に。

 ―――どうして警察に言っても“意味が無い”のか。

 一体何歩歩いただろうか。いつもは屋上の柵まで時間はかからなかったはずだが、意外に長かったようである。
 また一つ息を吐いて、前方を見る。
 人影が見えた。いや、影じゃない。完璧な人の姿があった。見覚えのある人間の。
 確認した瞬間、後ろのドアが風にやられて、壊れてしまうのではないかというくらい勢いよく閉まる。
 音は屋上全体に響き渡り、前方の人間はそれに気付く。最初から気付いていたのかもしれないが。
 振り返った彼女の顔には怪しい笑みが浮かんでいる。あの時と同じような、ふとすると奪われそうなその笑みを。沈黙。だが口が開かれるのにそう長い時間がかからなかった。

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、ってね。お久しぶり。今樫一八君」

 ―――御酉那乃羽は生きていたのだから。

「ところでまず校舎に戻らない? 風強すぎるのよ、ここ」
 風で煽られる髪を片手で押さえながら御酉は笑っている。
 異論はなかったので首肯する。会話するのにはさほど不便ではないが、それこそ用心に用心を重ねてやっておくべきだろう。
 オレが先頭を切り校舎内に入ると、ドアを開けたままにして近くの壁に凭れかかる。すぐに御酉も中に入ってきて、ドアを閉める。
「さて、何から話しましょうか?」
 腕を組んでやはりあの怪しげな笑みを浮かべながら問う。
 そうだな、と先に述べておいてズボンのポケットから屋上の鍵を取り出して御酉に放り投げる。
「あれは本当に『御酉那乃羽』なのかという疑問だ。お前はどっちだ」
「いきなり訊くのね。貴方は。いえ、その方が私にとったら説明しやすくていいのだけれど」
 鍵を片手で受け取ると、それを眺めることなく事前に知っていたかのように鍵を掛ける。
 何の迷いもなく狂いもなく戸惑いもなく。
 まるで何もかも予測していたかのように。
「私は正真正銘、御酉那乃羽よ。貴方が見た人物は私の双子の妹、御酉奈之葉」
 同じ読みかよ。
「貴方が思っている通り、一卵性の双子。それ以上でもそれ以下でもなく私たちはれっきとした戸籍でもはっきりとした姉妹よ」
 そこで鍵を放り返してくる。それほど難しい角度でもないのでいとも簡単に受け取れた。
「実の妹を犠牲にしたのか」
「元々、奈之葉は生きる意味が何なのかわかりかねていたしね。私は手助けをしたまでよ」
「手助けにしては手が込みすぎていたな」
「人生だもの。やっぱり楽しむべきじゃない? あの子も快く引き受けてくれたわ。一卵性だし顔も区別つかない。性格も似ている。誰がどう見ても入れ替わっているなんて思わないわよ。ま、今回はその中で一つしか必要要素はないんだけどね」
「だが」
「奈之葉の扱いはどうするのか、でしょ。あの子は学校にも仕事にも行っていない云わば引き篭もりだったわけだし、別にどうもしないわよ。奈之葉が“何処か”で死んだということだけよ」
 煙草吸っていい? と妙なことを言ったが別に気にしないタイプなので首肯して許可した。
 スカートのポケットから煙草の箱とライターが取り出される。種類はタールやニコチンがそれなりに入っている、ライトなものではない煙草だった。手馴れた手つきで煙草に火をつけると一息つく。
 箱を突き出されたが今はそういう気分ではないので軽く拒否する。堅いわね、と笑われたがすぐ話を戻す。
「それで、貴方はどこから双子とわかったのかしら。彼方さんやあの騒がしい女の子では到底手に入らない情報のはずだけれど」
 どうやら遙や橋凪が嗅ぎまわっていたのはお見通しのようだ。
「別に最初からわかったというわけではない。確信を得たのはもう一度現場を見たときだ。違和感。あの現場に入ってもう一度振り返ってみて違和感が出てきたんだ。そう、残り香だな」
「驚いた。嗅覚が鋭いとでもいうの、貴方は」
 目を見開いて本当に驚いている。まあ、説明しても無駄なので省く。むしろ説明しづらいというのが事実だが。
「けど、確かに残り香というのは有り得るかもしれないわね。双子と云えど私とあの子は両極端だったわけだし。それで区別するのは簡単なのかもね」
 光と闇。外と内。
 御酉姉妹にも、双子の姉妹にも両極端は存在する。姉は日の当たり場所で人と触れ合い、妹は現実を直視せず暗い世界を過ごしていく。 妹をそんな世界から脱出させようとしたのは姉の一言。現実から逃げるのならば現実から消えてしまえばいい。夢を見るならば永遠の夢を見ているがいい。光が嫌ならば闇を見ればいい。集団が嫌ならば孤独になればいい。つまらないならやめればいい。
 だから死のう。だから殺そう。
 そんな、両極端。
 まったく自然の会話をしているように御酉は煙草を叩いて、灰を床に落としていく。よく見るとこの踊り場の端には煙草の灰らしきものが落ちているのが確認できる。 どうやらここは他校のご多分に洩れることなく、絶好の喫煙所だったようだ。
 数分間沈黙が続いた。
 言葉も発することなく、大きな音をたてて動き回ることもなく、下の方で楽しそうに騒いでいる校舎内の人間を微かに眺めながらオレと御酉は沈黙を続けていた。
 だがそんな沈黙は長く続くはずもない。誰かが口火を切らない限り何も始まらないし、終わらない。この場での時間稼ぎは不要なのだから。
「最初はね、遊び感覚だったのよ」
 破ったのは御酉だった。
 煙草を吹かして、浮かび上がる煙を眺める。その横顔は先程までの勝気な態度が全く窺えない妙に悲しみを帯びたものだった。
 沈黙で返していくと一度目を瞑ってから今度は虚空へと視線を動かした。
「奈之葉――妹はね、成長しすぎたの。人間の生きる価値、人間がそこにいる意味、人間という存在、生と死、そのような社会学や心理学に通じる無駄な哲学意識に駆られて試行錯誤していって、彼女は彼女なりの結論を得た。 その結果が現実を直視しないことだった。研究し尽くした研究者が後にすることは何かわかる? 暇。退屈。呆然。そういった虚無の感情。まさしく妹はそれになってしまったの」
 その結果の有効活用方法が引き篭もり。一切の接触を避け、自分という殻に篭り続けること。ではその時、彼女は何を思っていたのだろうか。虚無の感情を募らせてしまった彼女は。
「妹が『死にたい』と言ったのはそのときだった。さすが一卵性双生児というべきか、私は彼女の気持ちは十分理解できたわ。そして逆も然り。 私は以前から双子というのがどこまで騙せるのか気になっていたの。顔も性格も体格も、ありとあらゆる部分形成が似ていた、いえ相似していた私たちを見分けられる人はいるのかってね」
「それで恋人である教師に頼んだ、か。災難というべきか」
「あの人は本当の意味での恋人よ。ああいう場に用いてしまったのは本当に申し訳ないと思っているわ」
 そういうと煙草を取り出したところとは違うポケットから定期入れを取り出した。開き、定期券の裏から一つの切り抜き写真が取り出す。 質問するまでもなく、二人で撮っている写真だろう。
 ―――今頃、悔やんでいるというのか。こいつは。
 再び定期入れをポケットに仕舞いこみ、気を取り直すようにあの笑みを取り戻す。
 それを確認してから口を開く。御酉はどうやらオレの推理紛いのものをご所望らしかったからだ。
「オレは見ていないからこれは予測でしかならない」
 前置きをし、頷くのを確認して体重を更に壁にかけてから口を開いた。
「お前は事前に何らかの嘘をつき、夜中の学校へ恋人である教師を連れ込んだ。その時、生徒会室ではなく、血の色があってもおかしくはない理科室や美術室を選んだんだろう。そこには確かにお前がいた。しかしそれは姉のお前ではなくゴーストである妹だ。そして妹は『殺して』くれるようその教師に頼み込んだ。その手筈は事前に姉妹で打ち合わせたみたいだな」
「ま、推理小説の真似事よ。面白いかな、って思ってやっただけ」
 面白かった? とでも言わんばかりの笑みを浮かべてくる。前にも言ったがそのトリックは全くの不要物である。逆に誰が犯人かをわからせるようなものだった。それが意図的なのか偶然なのかは判断しかねるが。
 だが、それより前に不思議に思ったことがある。
「教師もよくそんな無茶な質問に応じたな。『殺して』と言われて本当に殺すこと、しかも実の恋人を殺すのにはやや勇気が必要だと思われるがな」
 普通の精神を持っているならば、愛情は何物にも変えがたいと考えるはずだ。漫画や小説ならまだしも、本当にそんなことが出来るのは殺人狂か精神異常者ぐらいのものだ。
その教師の授業を受けたオレの感じからすれば、彼は至って普通の人間のように思えたのだが。
 問うと、御酉はやや悲愴な笑顔を浮かべた。
「あの人はね。本当に私を愛していた。それこそ『殺してしまいそうなほどに』」
 どうやら常軌を若干逸脱した人物だったようだ。いや、依存症というものだろうか。過度の恋愛依存症。
 だが不言実行ならぬ有言実行。そういう意味では彼の行為は褒められたものなのかもしれない。それが殺人という行為でなければ。
 不審な顔をしていたのだろう、御酉はオレに視線を合わせるとからかうような口調で言った。
「その辺は、貴方と彼方さんはどうなのかしらね。貴方の性格からしてもそれは有り得なさそうだけれど。 常識を常識として見ない人間は何を起こすか理解できないし、ここはちゃんと回答を求められる場面ではなさそうね」
「なら、質問するな。今はオレが質問する側だ」
 はいはい、と肩を竦めて笑う。何だか、彼女が笑っているのは無理矢理の感じがしてならなくなってきた。
 煙草が全てなくなり、御酉は足で火を踏み消した。どうやら二本目を吸うつもりはないらしく、ポケットから箱を取り出そうともしなかった。彼女は本格的にオレの話を聞く態度になったようだ。最初から聞いてほしいものだが。
 軽く息を吐いてから話を進める。
「そして妹を殺害した教師は事前に教えられた方法で殺害場所を隠蔽し始めた。そしていつか知らないが今度こそお前がやってくる。教師は驚いただろうな。目の前に殺したはずのお前がいたんだからな」
「そうね、あのときの驚きようはあの先生にしては珍しいから思わず笑っちゃったわよ」
 思い出したように声を上げて笑い出す。
 あまりに大きい声だと屋上に誰かいると感づかれるのを知ってか、やや抑え目ではあったがそれでも声は洩れてしまっている。
「それで事情を説明して今度こそ殺害場所の隠蔽を始める。教師は恋人が生きているとわかったから若干気が楽になっただろう。多分その時には殺害した相手など頭の中に欠片も残っていなかったかもしれない。それほど過度の依存症ならば、な。―――以上、証明終了ってな」
 合わせていた目を外して、呼吸を整えながら目を瞑る。
 また沈黙が始まる。
 あれから数分しか経っていないというのに階下は静かになっていた。皆、それぞれの目的に向かっていったのだろう。
 ある者は部活に、ある者は家に、ある者は熱心に、ある者は途方に。
 つまるところ、あの教師がこの学校を辞めたのにも理由があるに違いなかった。どんな理由なのかは知らないが、それこそ嘘だろう。
 ―――何故なら、彼女は“人間の生きる価値”を知った者の姉なのだから。
 その姉はオレが目を開けるとやはりあの笑みで出迎えてくれた。
「おめでとう。合格点よ」
 本心からか、手を叩き拍手なんぞを送ってくる。だがそんなものは全く必要ない。
 訊くのはこれからなのだ。
 体を起こして、再び御酉を見る。今度は生半可ではない、睨みつけるような目つきで。
「質問だ」
「答えれるものなら」

「どうしてオレを“選んだ”?」

 瞬間、御酉の顔が凍る。
 それが意表を突かれたと解釈するのに時間はかからず、直感した。
「犯人が三階と二階を間違えるヘマをするなんぞ到底考えられない。いくら暗くても帰り際に何階になっているのかは気付くはずだ。…………確かお前は以前席替えの時、自ら進んで席を指定したな。あれはお前が“橋凪渚という人物がどこに座っているか”を事前に調べた結果じゃないのか?」
 そう、最初から犯人は橋凪に予告状を届ける予定だったのだ。
 偶然ではなく必然に行われた行為。
 橋凪渚が一人では上級生のところへ行けないという性格。
 そして、橋凪とオレが顔見知りという事実。
 全てが計画されて出来上がったことなのだ。そして、あの、挑戦状。
「『生徒会室に来なさい。そして謎を解いてみなさい』。あれほどわかりやすい台詞はないだろう。確信は前になるがそれで決定打だった。お前は、オレを、“最初から選んでいた”んだ」
 そしてもう一度訊く。
「どうしてオレを選んだ?」
 オレと御酉との対峙は時間にすると短いが、意外に長く感じられた。それこそ一時間に感じられるほどに。
 その間も御酉はオレの目から自分のそれを逸らすことはなく、まるでオレの奥底を探っているような目つきだった。
 二人とも微動だにしない。息を吐いているのか認識できない。
 そんな状態が続いていた。
 だが次の瞬間、オレは目を見開いてしまった。
 御酉は階段の手すりに手を当てて、軽やかに飛び降りたのだ。
「――――ッ!」
 声を上げる暇もなく、手すりから顔を出す。その時には彼女の姿は一つ下の階の踊り場から背中の一部が見えるくらいだった。
 追いかけようと一歩踏み出した瞬間、足元で大きな破裂音と共に火花が散った。
 思わず顔を防いだが被害が顔に及ぶことはなく、残ったのは聴覚の麻痺と火薬の匂い。
 爆竹か。
 どうやら対峙していた時に意識がそちらばかり向けられていて足元にはいっていなかったのだろう。
 突然襲う敗北感。ここまで追い詰めておいて肝心なことを訊けなかった。
 何故、彼女はオレを選んだのか。
 何故、こんなことを仕向けたのか。
 何故、オレの近辺事情を知っているのか。
 色々な思考が頭の中を駆け巡っていく、瞬間。

「貴方は、選ばれたのよ!」

 御酉那乃羽の声、いやもう本当に御酉那乃羽なのか御酉奈之葉なのかわからない。
 ただ彼女はオレが選ばれたことを確実に言った。大声で。叫ぶように。

「これで私は“終われる”! 何もかもから!」

 何処から聞こえてくるのだろう。
 何処から発しているのだろう。
 どんな顔をしているのだろう。
 どんな気持ちをしているだろう。

「さようなら、今樫君。私は今から―――の元へ!」

 誰の元へ?
 奈之葉?
 那乃羽?
 それとも―――誰?

「―――イマイチだな」
 頭を掻き毟りながら、オレは溜息交じりに呟いた。
 結局何も解決していない。始まりはしたものの、終わりはしていないのだ。
 なんとも味気悪くて気持ち悪い。苦しくて苦しくて吐き気がする。
「『震えず、恐れず、前を見、てめぇの生き様見せてやれ』」
 自分に言い聞かせる。
 何が起こるかわからない。そんな不安な心を今は持っている。
 だが、そんなもの払ってしまえ。今生きている自分を見据えろ。
 お前の名前は―――今樫一八。
 お前の性質は―――傍観者。
 お前の恋人は―――彼方遙。
 お前の特性は――――――。

「激イマイチな質問だ、それ」





 御酉が“屋上から”自殺したという報せを聞いたのは次の日の朝のことだった。


...Myself,Yourself...








    


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