ココロ・インストール





 ―――ココロなんて、なければいいのに。




 初夏の匂いが微かに流れ、セミの声も徐々に日常化してくる頃、人々はやはり日常を過ごしていた。
 暗い闇の底から自分を揺り起こし、それまで見ていた夢を払いのけ、現実へと向き直っていく。
 おはよう、と誰もが口を揃えて同じ言葉を吐く。たとえ、それが日曜日であっても。
 しかし、河野貴明の場合は異なる。
 父親は海外へ出張、母親は父の性格を気遣い、同行。兄弟姉妹がいない――似たような関係はあれど――彼にとれば事実上の一人暮らしだ。
 目が覚めても、おはよう、という相手は家の中ではいない。
 夜寝るときも、おやすみ、という相手は家の中にはいない。
 それを淋しいと思うことは、既に17歳になる貴明の感情にはない。何か忘れていることがある、というような軽い喪失感を感じるくらい。
 その日も誰にも起こされることなく、陽が高く昇る頃にフッとまどろみから溶けた。
 陽の高さから休日の半分を寝て過ごしてしまったことを悔やみつつ、昼食のような朝食のようなものにありつくためにベッドから起き上がる。
 欠伸を噛み締めながら、階段を下りると一人では夏でも寒々しく感じるダイニングキッチンが見渡せる。
 さて、なんか腹を満たすもんはあったっけ、と靄がかかる頭の中で考えるつつキッチンへ向かっていると、鼻腔をつく匂いが漂ってきた。
 母親が帰ってくるという連絡は受けていない。
 なら、誰が―――。
「あっ」
 広い空間に響く、柔らかな声に顔を上げる。
 そこには肩まで伸びる藍色の髪を靡かせ、その色とは相容れないはずの漆黒のドレスと白いエプロンというメイドスタイルの服を身に纏う、彼より少し年上を思わせる女性の姿。
 彼女は貴明を見つけると、洗練された礼儀を以って、手をスカートの前に添え、深々と礼をした。
 顔を上げたとき、彼女の顔は優美に咲く水仙のように、ふわりと微笑んでいる。
 そのあまりの人間らしい、自然な動きに貴明はしばし見蕩れてしまった。
 人間らしい。
 そう、笑みを浮かべて声を掛けてくれるのを待っている彼女は厳密には人間ではない。
 DIA――ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャと呼ばれるHMXシリーズ最高峰にして実験作品である、アンドロイド。
 表面上は人間味があれど、耳や関節部など所々に機械的な部位が見られる。見た目が人間だからこそ、その差異に戸惑う。しかも可愛い。貴明も最初は信じられなかったほどだ。
 けど今では些細なこと。人間だろうがアンドロイドだろうが、彼女は彼女。母親のいない間の母親代わり、といっては彼女に失礼になるか。
 貴明は慈悲の心に溢れている、アンドロイドに微笑み返した。
「おはようございます、イルファさん」
「はい、おはようございます。貴明さん」
 彼女――HMX−17a イルファに河野貴明は今日最初の挨拶をした。



 イルファによる遅い朝食を食べ終わると、二人は貴明の家から出る。
 もともとイルファは貴明を呼ぶために来ていたのだが、まだ彼は眠りについていたし、持ち前の従順さが影響して中身の少ない河野家の冷蔵庫から食事を作っていた。
 ……どうやって家の鍵を開けたかは不明だが。
「けど、それなら電話でもしてくれれば」
 さすがに電話の音で起きない体ではない。応対はたどたどしいが、返事は出来る。ましてや、仲のいい人からの電話なら尚更だ。
 イルファはそれに悪戯っぽく笑った。
「やはり顔を合わせて挨拶したかったのです。それに、朝起きるとそこに女性が朝食を作って待っているというのは男性の幸せだと珊瑚様に教えてもらいましたので、さっそく実践させていただきました」
「実践してみました、って」
「……お気に召しませんでしたか? 貴明さんに喜んでいただけるものと思っていたのですが、無粋な真似をしたようでしたら謝ります」
「い、いやっ。すごく嬉しいんだけど、その、いつも世話してもらっているのにここまでしてもらっていいのかな、って」
「ああ、そういうことでしたら気になさらないでください。皆様の、貴明さんのお世話をするのは本当に楽しいのです。そのお言葉だけで十分です」
 どうやらその位置を譲るつもりはないらしく、貴明も彼女の性格を知っているためそれ以上の言及を控える。
 誰しも譲れないものがある。それがプライドだったり、夢だったり、地位だったり。
 女性が苦手な貴明でも、それを理解して、どう対処すればいいかは多少なりとも理解している。イルファの場合、譲れないものが『メイドロボとしてのプライド』。それを否定するのは彼女自身の否定を意味する。申し訳ないが、彼女の世話になるほかに道はないようだ。
 イルファもそれを承知してくれているからこそ、貴明を慕っている。主人は異なれど、それに匹敵する行為を貴明に注いでいる。その優しさに甘えることなく、自分の責務を全うする。見える形で彼に感謝しているのだ。
「―――それに、これも当分出来ないかもしれませんし」
「え、なにか言いました?」
「いいえ」
 その笑みに少しだけ物足りなさを感じたが、「着きましたよ」の言葉とともにそれは消えうせ、貴明は気のせいかと頭を切り替えた。
 着いた先は、見るからに豪邸。薄黄色に塗られた壁が全体を包み、更に存在感を醸し出している。
 毎回見ているのにやはりその大きさには嘆息が漏れ、この大きな邸宅に住んでいる住人のことを考えると思わず苦笑が出る。
 完全警備システムに包まれた玄関に辿り着き、イルファがドアノブを捻る。
「ただいま帰りました。貴明さんをお連れてきました」
「おかえり〜。あ、貴明や〜。る〜☆」
 ほわほわと春の陽気のように笑みを浮かべた姫百合珊瑚は貴明を見るなり、駆け寄って万歳のポーズをする。
 謎の行動だが、どうやらこれが「る〜☆」と呼ばれるものだということは数ヶ月の内になんとか理解した。意味は未だに不明だが。
 こんな無邪気な少女がイルファを含むDIAシリーズの根本を作ったというのだから、世の中どうなっているのかわからない。
 でも彼女も彼女。天才少女と叫ばれようが、本質的には年相応の少女なのだ。
「おはよう、珊瑚ちゃん。お邪魔するよ」
「邪魔ちゃうで。貴明ならいつでも大歓迎や〜」
 その振る舞いに笑みを浮かべつつ、向こうの方でむーっと貴明を睨むようにして見ている、珊瑚と瓜二つの少女にも声をかける。
「瑠璃ちゃんもおはよう」
 貴明の声に肩を震わせ、すぐさま「ふんっ」と顔を背け、珊瑚の双子の妹である姫百合瑠璃は昼食の後片付けを再開した。
 やはりまだ嫌われているのかなと軽く息をつくと、隣でイルファがくすくすと含み笑いをし出した。
「気になさらないでください。瑠璃様は照れてらっしゃるんです。証拠に、ほら、お皿の擦れる音が荒々しくありません?」
 確かに、乾燥機に入れる際に擦れるであろう食器の音が、いつもよりも音が大きい。まるで出て行くために急いで準備しているかのようだ。
 貴明にはよくわからなかったが、いつも近くにいるイルファが、そして珊瑚も納得しているようなのでそうなのだろう。しかし、女性経験がない貴明は、何に対して照れているのかわからない。いや、この場合は貴明自身の鈍さなのか。
「瑠璃ちゃん、恥ずかしがり屋やからな〜」
 どこかずれた科白で頷く珊瑚。聞こえていたのか、更に擦れる音が大きくなった気がする。
 姫百合珊瑚と姫百合瑠璃を見極めるには外見よりもまずその性格で如実に判断できる。珊瑚が陽を精一杯浴びる向日葵ならば、瑠璃は棘でその周りを囲う薔薇だ。珊瑚の近くは自分のみ、近づく者は全て排除するというのが瑠璃の精神。それゆえに珊瑚が好意を抱いた貴明や、突然現れて自分が唯一できる仕事を奪ったイルファと対立した。今はその誤解も緩和され、関係も以前よりは良好――のはずだ。
 貴明からしてみれば、瑠璃の行動はいつも通りだし、彼女の基準はやはり珊瑚だ。それが変わることはないだろう。
 それでもいい。このまま、ちょっと変わってはいるけれど、変わらない関係が続けばいい、と。
 むしろ、この関係はどうなのだろうと貴明は考える。
 とあることから、夕飯はこの姫百合邸でとることが決定付けられていて、毎日この家を訪れることになっている。
 申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、それは先程のイルファの遠慮する必要はありませんという言葉と珊瑚の必要以上の要望によるものだ。瑠璃は若干反論したが、渋々承諾、というより気付いたら雪崩式に物事が進んでしまっていた。
 珊瑚曰く「うちがちゅーして、瑠璃ちゃんの手料理が食べれて、いっちゃんに甘えられるなんて、貴明は幸せもんやなぁ〜」。男としてそれはどうだろうか。
 更に珊瑚はこの姫百合邸に住むこと、つまり彼女らと同居することを望んだがそれは遠慮させてもらった。
 もちろんこれにもイルファは告げたが、年頃の男女が一つ屋根の下というのはあまりに世間体が悪すぎることを理由にした。もちろん建前なしの本心。
 それからというもの、何度も示唆するような言葉や直球の台詞が来るが、やはり何度も断り続けている。
 貴明の幼馴染である向坂雄二に言わせれば「そんな羨ましい環境にいて今更何ためらってんだよ。どうせほとんど一緒にいるようなもんだし、住めばいいだろうが。このフェミニストにしてハーレミストが」と。
 閑話休題。
 ともかく、この家庭において河野貴明は微妙な位置に立っている。
 イルファには献身的に奉仕され、珊瑚には好意を抱かれ、出会った日に既にキスまでしてしまっている。
 そして瑠璃に至っては、事情が事情だったが自ら唇を奪ってしまったのだ。しかもファーストキス。更に言ってしまえば、危うく一線を越える場面まで突入してしまっているという妙な間柄。
 だからこそ気まずい。もちろん彼女たちのことを女性として見ているが、出会って一ヶ月の付き合いで築き上げた関係は既に家族のようなもの。好きかと問われれば好きと答えられる。だが、愛しているかと問われれば―――そんな関係。
 果たして彼女らの好意や慕情にどう答えていいのか。自分の行動にどう責任を取ればいいのか。やはり頭を抱える。
「貴明? どないしたん、考え事?」
 思わず顔にも出ていたのか、心配そうに珊瑚が顔を覗く。貴明はそれを意識的に拭うと軽く珊瑚に手を振って誤魔化す。ここでいらない心配を掛けさせては彼女らに迷惑がかかる。
「ん。大丈夫大丈夫。それで、イルファさんに聞いたけど、俺に何か用事があるって」
 それを聞くと、珊瑚の顔は一変して明るくなり、ぽんっと手を打った。
「そぉや〜。この前、新しいゲーム買ったんやけど、なかなか進めへんねん。貴明が暇やったら、手伝って欲しいなぁ思ったんや〜」
「またバイオ系?」
「大丈夫や〜。今回は怪物を罠でひっかけて、逃げ回るゲームやから」
「いや、それ結局同じ系統。むしろ倒せないだけ難易度高いし」
 珊瑚はどうもバイオレンスなゲームを好む傾向があり、逆に瑠璃は幽霊や暗闇といった恐怖の対象となるものが苦手だ。
 その性格の違いから、滅多に瑠璃の前ではゲームをしなかったが、河野貴明という要素が加わることによってようやくゲームプレイ解禁。
 以後、夕飯をいただく前、つまり瑠璃やイルファが夕食の支度をしている間はたいてい、珊瑚とゲームをするようになった。
「貴明、せぇへんの?」
 ちょっと悲しそうな瞳で訴えかけてくる珊瑚。まさかそういう反則技が出るとは思っていなかった貴明は、思わず体を仰け反らせる。
 しかもその肩をぽんっと叩いて、意味深な笑みを浮かべるイルファ。彼女はさっさと瑠璃の後片付けの手伝いへと向かっていってしまったが、その行為は貴明に決定権がないことを示していた。
 諦めるように、しかし自分もこの生活に馴染んできたことを感じた。
「もちろん。珊瑚ちゃんがいいなら俺は別にいいけど」
「いいもなにもうちが呼んだんやから大丈夫や〜。はよぅ、はよぅ〜」
 腕を引っ張られると貴明はこけそうになりながら、急いで靴を脱ぐ。
 ようやく片足が脱げたところで「あ〜」と珊瑚が思い出したように声を上げる。
「どうしたの?」
「忘れとった〜」
 腕を放し、クルッとスカートとともに体を回転すると、いつものほわほわとした笑みと万歳のポーズをする。
 その行動の意味がわからず、呆然としている貴明の首にそっと回される細い腕。思わぬ重さがきた首は自然と腰とともに下がる。
 次の瞬間、その隙を狙ったかのように珊瑚の顔が近づき――――触れる唇と唇。
 目を見開く貴明とは裏腹に珊瑚は彼の後頭部をしっかり抱き、逃げないようにしている。果たして紅潮しているのは貴明のみ。
 とうとう息を忘れ、呻き出した彼に気付くと珊瑚の唇はゆっくり離れていった。
「あ〜、あかんで貴明。ちゃんと息せな、ちゅ〜は長く出来へんで」
 あっけらかんと答える珊瑚に対して、貴明は狼狽しまくり。いろんな映像が脳に乱れ、様々な言葉が羅列する。
 ―――さっき何があった。え、なに、き、キス? あれ、でもこれ何度目だっけ。いい加減に慣れろよ俺。っじゃない! 慣れるとかそんなんじゃなくて、珊瑚ちゃんは一体何をした!
 正常な思考に辿り着くまで、たった30秒前後だったが貴明には1分にも1時間にも感じた。
「な、なにしたの」
「なにって」
 先程まで密着していた桃色の唇に人差し指を当てると、何事もなかったかのように。
「おはようのちゅーや〜」

 瞬間。

「さんちゃんになにしとんや、このへんたいまーーーーーーーーーーー!」

 貴明の意識は脇腹の痛みと瑠璃の叫び声と共に失われていった。



 姫百合瑠璃はその瞬間をきっちりこの目で捉えていた。
 姉とその姉が好意を抱いている少年との口吻を。
 ちょうど、食器を片付け終え、イルファにいろいろといわれて気が滅入っているときに姉の様子を見ようと顔を覗かせたとき。
 時間が、止まったと思った。
 風が止み、暗闇が周りを包み、体が動かず、まるでこの世界で姉とあの少年だけがいるような錯覚。
 わかっている。姉――姫百合珊瑚は、少年――河野貴明が好きだ。こうして人目もわきまえず長い時間唇を重ねているのがその証拠。
 大好きだった姉が誰かに取られる。最初、河野貴明と出会ったとき、頭に過ぎったのは姉の独占欲と保護欲。今でもそれは念頭にある。誰かが姉に話しかけるたびに、その相手へ嫌悪の視線を向けている。でも、今は何かが違う。違う。どこかが違う。孤独感ではない。敗北感? ―――それなら、この敗北感は誰に向けられているものか。

 ―――ちゃう! そんなんちゃう!

 よぎるのはイルファを否定し、家から飛び出したとき。
 あのとき、何故自分は少年の家へ向かったのか。
 なにをしてもらいたかったのか。あんなに嫌っていたヒトを。オトコを。
 慰めてほしかったのか。怒ってほしかったのか。
 それとも、愛してほしかったのか。

 ―――ちゃう! なんでそんなこと思うんや!

 三度目の葛藤に入る前に、ようやく時間が動き出し、姉と少年の唇は離れていく。
 果たしてそれは何秒だっただろう。1分のような、1時間のような。いや、止まっていたのは自分の体内時計だけか。
 正常な状態を取り戻すまで、少々の時間が必要だった。額には汗が浮かび、顔の温度が高く、肺は酸素を所望している。もし、このまま姉の前に出たら、すぐその異常性を察しられる。それは避けたい。まず、深呼吸をし、目標を決める。
 河野貴明。
 姉が好意を抱き、イルファが慕い、自分の唇を奪った相手。
 彼もまた、自分と同じようで何が起こったのか理解できていないようだ。
 どこかでそれに安堵を覚えると、助走をつけて瑠璃は怒声と共に蹴撃を与えていた。
 助けた相手のはずの珊瑚は状況が掴めなかったが、徐々に理解してくると「あ〜」と緊張感のない声があがった。
「瑠璃ちゃん、貴明いじめたらあかんよ」
「さんちゃん! いつも言うとるやんか、そう簡単にしたらあかんて!」
 未だ荒れる呼吸を助走のせいにして、瑠璃は自然と言葉が流れていくのを感じた。
 だからか、それを訝しく思うことなく、珊瑚の頬は膨れる。
「むぅ〜。あ、貴明〜。生きとるかぁ〜」
 縁起でもないことをさらりと言いつつも、珊瑚は貴明の頬を軽く叩く。若干力を入れすぎたか、と瑠璃も心配しつつそれを見る。
 どうやら頭を打ったようだが、大した怪我でもないらしく、貴明は頭を押さえつつも体を起こす。
 その周りを珊瑚がうろちょろしていると、彼女の観察眼が頭に出来た腫れを見つけた。
「うわぁ〜、貴明、たんこぶできとる。いっちゃん、応急処置」
「大丈夫だって。これぐらいならガキの頃に、たくさん作ったし。これでも回復力は人並以上だって自信はあるから」
「油断大敵や。ほら、瑠璃ちゃん、はよぅ貴明に謝りぃ」
 ぐいっと頭を押さえ込まれ、小さな声で「……ごめんなさい」と瑠璃は呟く。
「だから大丈夫だから。瑠璃ちゃんも気にしないでいいよ。けど、ちょっと加減してもらえると嬉しいかな」
 まるで子供をあやすように瑠璃の頭を撫でる。ぶすっとしていた顔が徐々に目を見開き、顔を赤らめていく。瑠璃は否定しようと頭で制御をかけるも温度は上がる一方だ。
 抗議しようと口を開きかけたとき、スリッパの音とともにイルファが濡れタオルを手にこちらへやってきたので、言葉は風に乗って霧散する。
「貴明さん。優しいのはいいですけど、嫌なことは嫌、と言わなければいけませんよ。―――少し、見せてくださいね」
 珊瑚が指を差した場所を見ると、イルファは濡れタオルを軽く頭に当てる。今度は貴明がぶすっとする番になった。世話をされるのは嬉しいが、ここまでされると申し訳ないのと同時に情けなくなってくる。威厳も欠片も自分にはないのではないだろうかとそう邪推してしまう。
 貴明のしかめっ面に瑠璃もようやく安心する。併せて妙な疎外感を味わう。姉とイルファは懸命に世話をしているのにも関わらず、自分はこうして突っ立っているだけなんだと。確かに元凶は自分だが、謝るだけ謝って、それ以降はただ見守っているだけというのは情けなく思う。
 そんな瑠璃の疎外感をいち早く気付いたのは、誰であろう、イルファだった。
 イルファは顔を伏せ、肩を落としている瑠璃を見ると思わず嘆息を吐く。珊瑚にあとは任せる旨を告げるとスッと立ち上がった。
「瑠璃様。お客様なのですから、貴明さんに飲み物を差し上げなくては。手伝っていただけますか?」
「え。あ……うん」
「じゃあ、うちはリンゴジュース〜」
「貴明さんは?」
「お気遣いなく―――は通じないでしょうから、麦茶で」
「かしこまりました」
 そう言うと、イルファは台所へと下がっていった。瑠璃の手を引いて。
 貴明と珊瑚がいるダイニングが見渡せる位置に台所がある。部屋の中央に4人掛けの机がある以外は、それといって変わった様子のない普通の台所だ。やはり広さを若干を感じるが。
 飲み物の準備中の声、主にイルファの声量はやや小さい。小さくする理由はもちろん、貴明と珊瑚に聞こえないようにするためだ。
 その音量に瑠璃は思わず怒られると察し、体が縮こまる。慕っている相手を軽微とはいえ、負傷させたのだ。怒っていないわけがない。
 だが、声量に比べて、イルファの言葉は優しかった。
「瑠璃様が気を病む必要ありませんよ。むしろ、あれでよかったのです」
「え?」
 意外な言葉に大きな声が出てしまう。それに瑠璃が気付くのと、イルファが人差し指を立てるのは同時だった。
「ふふっ。貴明さんは鈍感ですし、女性なら誰にでも優しくされてしまいます。私も珊瑚様とちゅ〜されているのをみて、ちょっとムカッてきてしまいましたから、瑠璃様には感謝です。お灸を据える、というのでしょうか。もしくは…………天罰?」
 明らかに人災だと思うが、そんなことよりまさか感謝されるとは思いもしなかったので、逆に瑠璃が慌てた。
 言葉にならない弁明を繰り返している瑠璃を押さえると、イルファは笑みを深くして続ける。
「何も言わないでください。そして覚えていてください。私は貴明さんが好きですけれど、瑠璃様のことは愛しているんです。どんなことがあっても私は瑠璃様の味方です」
 恥ずかしげもなく言う二度目の告白に、瑠璃は頭が真っ白になる。そのまま開いた口が塞がらない彼女を見て、イルファは頬を染めながら手を口元に当てて微笑んでいた。
 HMX−17a イルファのマスターは本人不本意のまま、姫百合瑠璃に設定されている。それはイルファ自身が希望したことでもあった。
 昔、珊瑚が作ったプログラムを組み込んだぬいぐるみを、珊瑚ばかり構っていて友達がいなかった瑠璃にあげたとき、彼女は不承不承それと触れ合っていた。本音を言えばあまりぬいぐるみ遊びは好きではなく、姉と触れ合っているときが楽しかったのだが、珊瑚の気分を悪くしないためにも、片付けたぬいぐるみ箱を出したりまた閉まったりして形だけ遊んでいたのだ。
 そのぬいぐるみの中にイルファの人格があった。彼女は瑠璃の心をいち早く察し、いち早く友達になりたいと思った。だが、次第にその心は形を変え、好きだけでは言い表せないほどの感情――愛へと変貌する。
 人間とアンドロイドの恋。ましてや同性同士の恋。だが、止めることは誰も出来はしまい。
 何故なら、姫百合瑠璃は、イルファに「光」を見せてくれたヒトなのだから。この気持ちは友情だけでは止まらない。
 瑠璃はその気持ちに未だ答えられてはいない。姉しか見えていなかった世界に突然、乱入してきたのだ。いきなり告白されても答えれる人間はそうはいないだろう。
 ようやく自我を取り戻した瑠璃は、すぐさま口を尖らせてそっぽを向く。
「ふ、ふんっ。うちはイルファのこと、認めたわけやないからな」
「ええ、そのうち、認めさせてもらいます」
 ふと手を止めると、イルファは優しく、そして真剣な目つきで告げた。
「―――早く『誰か』を認めないと、あとで後悔するかもしれませんよ」
 意味深な言葉に瑠璃は眉を顰める。
 追求しようにもイルファの表情は既にいつものもの。先程の真剣な面影は微塵も見えない。
 気のせいではないにしろ、彼女の表情がそれを問い詰めるなと言っているような気がして口を閉ざす。
 『誰か』
 『後悔』
 果たしてそれが何を意味するのか。そしてイルファは何を伝えたかったのか。
 瑠璃は不安になったが、ダイニングで盛り上がる姉の声によってそれはかき消されていくのだった。











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