その日は朝から妙に不機嫌だった。
 どこかの刀剣好きの娘のように低血圧ではない自分は普段はそれなりにすっきりした朝を迎えるはずだった。いや、元々すっきりといった言葉が似合わない。ならばこれが普通なのか。
 しかし、それにしても朝からおかしい。煙草を吸うにもいつもの美味しさが感じられない。何故だ。
「橙子師、ご機嫌が優れないようですが」
 少女――黒桐鮮花が心配そうに顔を覗いてくる。当の本人はそれに「いや、大したことじゃない」と軽く受け流す。
「それより鮮花。今日は何日だ」
「え。3月の2日ですが、それが何か」
 3月と聞いて、ふと開け放っている窓から外を眺める。
 よくよく見ると春の陽気は微かに感じられる。それは単に雰囲気だけで実感できるといったものではない。
 何故ならばここは廃墟ビルが列挙されている地帯だからだ。自然の欠片が微塵も―――とはいわないものの、感じられないのであれば季節感が薄らぐというのも当たり前。 桜も咲かねば梅も咲かず。勿論、花見客なんて来るはずもなく。都心から離れてしまえば人の声なんて稀にしか聴かないものだ。
 ―――だから、ここに来る人間も決まってくるというものだ。

「はっろー! 姉貴、元気ー!」

 ノックもせずに堂々と入ってくる魔法使いだとしても。

 妙な気分はコイツか。半ば予想していた結果に呆れながら細い目でソイツを見る。
「貴様。どんなツラして私の前に現れた」
「ん。どんな顔ってこんな顔だけど」
 彼女は豪快にも肩で担いでいたトランクを床に置くと、つかつかと橙子の方へと歩み寄る。
 呆気にとられている鮮花に通り過ぎる際、笑みを浮かべると見下ろす形でそこに辿り着く。
 蒼崎橙子。蒼崎青子。
 アオザキの姓を持つ姉妹の、生涯幾度とない再会だった。
 橙子はそんな青子の態度を見て、溜息混じりに座る椅子に自分を預ける。
「どうでもいいが、性格変わったんじゃないのか。放浪中に何かあったか」
「あったか、ってもんじゃないけどね。世界を見てみると色々考え方が変わってくるのよ。よく言うじゃない。『世界はこんなに大きいのに僕らはなんてちっぽけな存在なんだろう』って」
「確かに貴様のような存在を見ているとちっぽけに感じてくるな。―――鮮花。少し席を外してくれ。もしかしたら講義は今度になるかもしれん」
 その言葉に鮮花は毒気が抜けたように我を取り戻し、小さく頷くと青子に礼を送って事務所のドアから出て行った。 出て行く鮮花の背中を終始眺めていた青子は、彼女の姿が消えた後、紙の束が積まれている机の上に座り込む。
「何、あれ。姉貴の弟子? 姉貴って弟子をとらない性分じゃなかったっけ」
 笑いかけてくる妹に、鼻で悪態をついてから懐から煙草の箱を取り出して一本口にする。火をつけずに、ただその一本の煙草を見つめる。
「鮮花は例外だ。あいつには微弱ながら才能はある。言っておくが私がとったんじゃない。向こうから懇願してきただけだ。―――なんともつまらない理由でな」
 確かあれは…………自分の兄に近寄る物騒な女を抹殺するだのなんだの。少々の誤認はあれど、大差はないだろう。黒桐鮮花はまさにそのつもりで自分に魔術を習いに来ているに違いない。
 捻れた兄妹愛。黒桐幹也。黒桐鮮花。
 いや、捻れてなどいないのだろう。単に傍にずっといたのが彼だっただけ。捻れているのはきっと、他人の目。歪んでいるのはきっと、他人の心。
 逆に蒼崎姉妹は単に傍に誰もいなかったからお互いを嫌悪している。捻れているのは自分の目。歪んでいるのは相手の心。
 同じ身内同士だというのにこうも違う。互いを認める兄妹、互いを認めない姉妹。
 無論、今から仲良くなろうなどとは橙子も、青子も思ってはいない。
 が、――――と、頭の中で考察し続けていると無駄に時間を喰ってしまうことに気付き、改めて煙草に火をつける。紫煙が姉妹の間に漂う。
「で、わざわざ私の前に現れたのはワケありなんだろう。まさか顔見世と土産だけではなかろう」
「もちろん」
 何が楽しいのやら、からからと笑いながら胸を張る。顔を顰めてみるが後姿の青子がそれを見れるはずがない。
 妙な気分は止まることがない。つまり、青子以上、彼女に並ぶほどの面倒ごとがこれから始まるということだ。
 良くも悪くも血を分けた姉妹だ。妹の態度でそれなりのことはわかる。
 笑い声を止めると、くるっと邪気のない顔――表面上は――でこちらを振り返ってきて
「姉貴。魔眼殺し。また、くれない?」
 とかのたまわりやがった。
「―――――――――」
 予想内での予想外な発言を聞き、動きが止まる。それが数秒。
 吸いかけの煙草を灰皿に押し付け火を消す。それが十数秒。
 椅子に身を預けて俯く。瞑想。それも十数秒。
 そして。
「貴様、殺されにきたか」
「うわ、そういうこと言うかなぁ」
 橙子の殺気染みた台詞は青子には通じず、ちょっと苦々しい顔をしただけで終わった。
 やはり妹のことは理解しているのか、その態度を見ても軽く目を細めるだけでふぅと溜息を吐く。
「そういうことも何も。お前は八年前に私の作品を奪ったばかりだろう。その後、どこぞの小僧にやった挙句、貴様は逃走。あのときの落とし前は済んでいない」
「どこぞってね、志貴のことを悪く言うのは止めてよね。あれでも私の可愛い生徒なんだから」
「フン。で、今度はどのような馬鹿者に魔眼殺しが必要なんだ」
「いやー。それが、わかんないのよ」
「なに?」
 今度こそ、その目付きは厳しいものに変化した。腰を上げ、片手を彼女の座る机に添えて、顔だけを向ける。
 青子は「そんな怖い顔しないでよ」と肩を落とす。意外そうな彼女の表情に僅かに声を荒げる。
「誰とも知らぬヤツに貴様は私の作品を渡すつもりか」
「ちょっと待って、姉貴。誰もまだ『私が渡す』なんて言ってないでしょ」
 確かに青子が渡すとは言ってはいない。だが蒼崎青子という魔法使いは全国を放浪している云わば宿無し人間だ。そんな彼女が誰かに頼まれるほど親しい人間がいるわけでもなく、また魔眼殺しを作っている姉がいることを知っているのも身内の妹だけのはずだ。
 ならば頼むのは必然と青子のはずだ。訊かずともわかる。
 橙子のそんな思惑とは反対に、青子は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「……これがまた大変なヤツに頼まれちゃって」
 机から勢いよく飛び降りると、腰に手を当てて体を橙子に向ける。しかし声とは裏腹に笑みは強くなっている。
 彼女が大変などというときは、途轍もなく大変なケースが多い。
 だから今回の場合も勿論。
「ゼルレッチ大師父だったりして」
 ――――――――。
 予想外で予想外の発言。
 咥えていた煙草もあまりの衝撃にぽとりと机に落ちる。
 ニコニコと上手くいったと笑う青子の姿は、彼女の年齢よりかなり若く感じられる。邪気に満ちていない子供のような顔。だが、その心の中は邪気だらけ。
 それに反発するように机を激しく叩く。
「魔法使いの一人にして、死徒二十七祖四番、宝石のゼルレッチだと!? 万華鏡だぞ! 貴様と並ぶほどに神出鬼没なヤツがどうしてお前の前に現れる!」
 怒鳴る橙子の声に「いやー」と照れたように頭を掻く青子。
「私も驚いたわよ。何せ、突然目の前に現れたからね。あれには流石の私も驚いたわ」
「それだけで済む相手か! 魔法使いと魔法使いが顔をあわせるなんざ、確率の問題でかなり低い。世界が破滅するぞ!」
「うん。それは私もわかった。会った瞬間、あ、これ私死ぬかも、なんて思っちゃったくらいだし」
 けど死ななかったのは私の悪運よね、なんてからからと笑い始める。そんな妹の態度に脱力。頭に上った血も一瞬にして下がり、椅子に座り込む。
「…………それで、その依頼者がゼルレッチだというのか。しかし何故貴様のような前に」
「だから姉貴の魔眼殺しが必要なんだってさ。聞くところによると、弟子の頼みだのなんだの」
 顔を顰める。ゼルレッチの弟子。果たしてそのような存在が実在するのか。ソイツは本当に生きてその頼みとやらを吐いたのか。
「ゼルレッチの弟子、とはどういった人間だ」
 嘘臭いと感じながらも若干興味本位で尋ねてみる。ゼルレッチの弟子の扱いを橙子は噂程度ではあるが耳にしていたからだ。
 青子もそのことは知っているようで、溜息を交え、首を振った。
「これがまた、極東の我が故郷、日本だったりするわけ」
 それが更に橙子の目を見開かせた。
「第二次世界大戦時の男共のような精神も体力も持ち合わせた人間だとでも?」
「あはは。それもハズレ。姉貴もそれなりに日本にいるなら知ってるでしょ。遠坂っていうんだけど」
 遠坂。勿論、知ってはいる。
 魔道の名門、そして冬木市の管理者の家系であったはずだ。
「―――だが、遠坂の当主は魔術にそれほど恵まれていなかったはずだが」
「いつの時の情報よ、それ。今の当主はかなり魔術に恵まれているみたいよ。これはゼルレッチから聞いた話なんだけど、なんでも第二魔法を習得したらしくって」
「耳が遠くなったようだ。何も言うな。言ったら本気で殺す」
 頭を抱える。風邪はひいていないのにも関わらず頭痛がしてくる。
 青子の言葉は疑わしいが、ゼルレッチの言葉なら間違いないのだろう。会ったことはないが、噂を聞く限りそう簡単に嘘を述べる人間ではない。
 ならば遠坂の当主が第二魔法――染みたものかもしれないが――を習得しているのは疑うことない事実。
「…………なんなんだ。この度の遠坂の当主は魔法も使えて魔眼持ちだとでもいうのか。それは魔術師や魔法使いなどではなく、神話の話になるぞ」
 その当主がどんな性格なのかは知らないが、当分は遠坂の地に踏み入るのは避けておいた方が無難だろう。
 自分は死んでも代えは存在するが、無駄死には良くない。あの人形たちは一体だけでも高いものなのだから。
 ふと、橙子が人形について考えていると風の噂で流れてきた情報が頭の中に蘇った。
 魔術協会に置いていった人形の一体がどこぞの誰かの魂の素体として用いられた、と。
 何か引っかかったが、気のせいとして当面はそのゼルレッチの依頼について思考を移すことにする。
「チッ。ゼルレッチも人が悪い。封印指定である私にわざわざ頼るとはな。これでは恐喝にあっているような感じだ」
 不承不承と腰を持ち上げる橙子を見て、青子の顔は輝く。
「それで。その魔眼の種類はなんだ」
「え。魔眼の種類によってあのガラスって変わるの?」
「興味本位だ。それと硝子というな」
 そのような俗物と同じにしてしまえば私の作品が汚れる、と呟くと奥の部屋に入る。青子は部屋には入ろうとはせず、確か聞かされたはずの記憶を蘇らせていく。何せ突然現れては様々な情報を一度に流し、頼みごとをした後、唐突に姿を消したのだからすぐ思い出せというのも少々難儀なことだ。
「石化だったかな」
 魅了と言った気もするが、深く記憶に残っている魔眼の性質を言っておくことにした。それが渡される物に影響するならまだしも、関係ないのならば別にどちらでもよかった。どちらにせよ直死ではない。
「石化か。蛇女でも介入したのか。……とりあえず、ほれ」
 放り投げられた硝子のようなものを掌で受け止める。
「あとはお前が昔やったように眼鏡なりなんなりしろ。ゼルレッチがするなら不要かもしれんがな」
 落ちた煙草を拾い上げ、灰皿に押し付けると再び椅子に座り込み一本煙草を取り出し火をつける。
 一仕事終えたといわんばかりの態度に、青子はフッと笑みを浮かべる。
「……なんだ、その笑みは。貴様の用事は済んだんだろう。なら早く行け。貴様の顔など二度と見たくない」
「ハイハイ。今度姉貴には何かいいもの送っておくから」
「どうせつまらんものだろう。いらんから早く行け。ここを戦場にしたくなければな」
 そこで橙子は目を瞑る。
 青子との再会はここで終了。次に目を開ければ彼女は姿を消しており、辺りには何もなくなっているはずだ。
 それが蒼崎姉妹内での暗黙の領域だ。
 別れの言葉など不要。交わす言葉も普段ならこれほど多くはない。
 次に会うのがいつかわからない。だが、それを寂しいとは思わない。むしろ清々する。
 橙子は紫煙を吐き、ゆっくり目を開くと―――やはり誰もいなかった。
 蒼崎青子は別れも告げず、次に会うのがいつになるのかも言わず、ドアの音もさせずに橙子の前から姿を消した。

 そこに広がるはいつもの静寂。春の陽気が微かに窺える風の流れに煙が揺れる。
「青子。お前はちっぽけな存在であり、小さな器のようだな」
 窓の外を眺める。
 広がるのは青い空。
 どこまで続くのかわからない青空。
 世界はこんなに大きいのに――――――。
「あの馬鹿め。礼くらいはしたらどうだ」
 そう言う橙子の口元は微かに緩んでいた。
















−あとがき−
桜ルートトゥルー後。要桜トゥルー攻略、マテリアル読了。
マテリアルのアオザキの項に橙子さんが何やら関わっていると書いていたので妄想した結果。
妙に色々名前が出てきましたがその辺りは気にしないように。

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